甘楽町秋畑から富岡・下仁田方面に抜ける峠として藤田峠・
根藤峠
・入山峠・那須峠・
横見峠
がありますが、
藤田峠以外はいずれも地図には明記されていません。
那須峠と横見峠は秋畑の歴史によくあらわれてきて、人々の暮らしの中にあった峠のはずなのに、明記された地図が見当たらないだなんて。
文献からそれらの位置をわかったつもりになっていましたが、しかし実際に赴いてみるとなにか違うような気が。
そこでもういちど整理しながら考えてみることにしました。
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2014年04月、現在の林道を通って(新)入山峠に到達したとき
まで、那須峠と横見峠は秋畑と富岡・宮城の境の稜線上にあって、
富岡・下仁田方面に抜ける峠だと思っていました。
実際、須田 茂さんの「群馬の峠」にある地図では、藤田峠と鳥居峠(茂垣峠)の間に2つの点が描かれています。
名前が示されていないのでそれぞれがどの峠であるのかは釈然としないのですが、おそらく那須峠・横見峠を示しているものと思われました。 しかし次のことがわかり、
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さてここが那須峠だとして、もう一度 須田 茂さんの「群馬の峠」を読み直すと、
須田 茂 「群馬の峠」p42
那須は秋畑の最西端の地区であり、本峠は那須から富岡方面へ至る道である。 那須から那須峠を越えて谷ノ口を経由して藤田峠を越えれば富岡市岩染に出られますし、 那須峠から入山を経由して入山峠を越えれば富岡市野上の宮城に出られます。 解説文は正しいといえます。 ただし谷ノ口ルートと入山ルートでは谷ノ口経由のほうが古くは主流であったようです。 さらに目的地を考えると、谷ノ口経由で藤田峠を越えるのは当時の市街中心であった一の宮ならびに貫前神社に行くときであったろうし、 入山ルートで宮城に出るのは町としては小さいけれどすこし近い下仁田に買い物に出るときだったのでしょう。 いずれにしても「秋畑那須〜富岡野上の宮城」としてしまうとさらに入山峠を越えなくてはならないので、 ここは「秋畑の那須〜秋畑の谷ノ口および秋畑の入山」とするべきでしょう。 |
さて、自分的にはほぼ確信が得られたのですが、素人の推測ではなくてなにか公式な文書に書かれていないものなのかなあ。
甘楽町史にも書かれていないしねえ。
で、いろいろ調べて、おおっ、あった!!
甘楽町のウェブサイト
をすみずみまで注意深く読んでみてください。
石造物があるあの鞍部にしっかりと「那須峠」と書かれています!!
その標高は691.1m。 さらにこの情報は、須田さんの「群馬の峠」にも、そしてほかのどの地誌にも記載されていない大根峠の位置をはっきりと示しています。 いままで推測にしかすぎなかった 横見峠 の位置も、 二本岐峠 の位置もこれで確定。 おお、世の中にはまだまだ私が知らない情報源があるんだ。 |
[注: 入山峠の位置は誤っています。] |
これで那須峠の謎ときは終わりと思ったのですが、実はまだ謎が残っているのです。
ここにある石造物のひとつは小さな石祠。
峠なんだから山の神があるのは至極当然で不思議ではないことなのですが、
その石祠に祀られているのはなんだか・・・ハンマー?
いや、それともこれは・・・なんだろう、とにかくハンマーに似た道具に見えます。
帰って写真を見ていて気づいたので実物をつぶさに見てはいないのですが。
この道具は実際何であって、それを収めた理由・背景とはいかに。
これからも那須に足を運ぶ理由は、うまい蕎麦を食べに行くだけじゃないぞ。 |
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いまでは甘楽町秋畑の那須の人々は県道富岡神流線を使って雄川沿いに車で富岡やそのほかの街に買い物に出ますが、
この県道が開通するのは明治末期のことで、それまでは遠くて通行困難な箇所のある雄川沿いの道よりも、峠を越えて下仁田に出ることのほうが多かったようです。
そのためにまずは那須峠を越え、つぎに横見峠に向かいました。
というわけで、
次は横見峠だな。
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