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Nasu Toge Pass

那須峠


那須峠

    甘楽町秋畑から富岡・下仁田方面に抜ける峠として藤田峠・ 根藤峠 ・入山峠・那須峠・ 横見峠 がありますが、 藤田峠以外はいずれも地図には明記されていません。 那須峠と横見峠は秋畑の歴史によくあらわれてきて、人々の暮らしの中にあった峠のはずなのに、明記された地図が見当たらないだなんて。 文献からそれらの位置をわかったつもりになっていましたが、しかし実際に赴いてみるとなにか違うような気が。 そこでもういちど整理しながら考えてみることにしました。


これは間違っているようだ

    2014年04月、現在の林道を通って(新)入山峠に到達したとき まで、那須峠と横見峠は秋畑と富岡・宮城の境の稜線上にあって、 富岡・下仁田方面に抜ける峠だと思っていました。 実際、須田 茂さんの「群馬の峠」にある地図では、藤田峠と鳥居峠(茂垣峠)の間に2つの点が描かれています。 名前が示されていないのでそれぞれがどの峠であるのかは釈然としないのですが、おそらく那須峠・横見峠を示しているものと思われました。

    しかし次のことがわかり、
  • 『甘楽町の地名』には、右図で「那須峠」としたところが「横見峠」になっている
  • 那須のすぐ北の鞍部には石造物があり、峠として扱われていても不思議ではない特別な場所であった
  • 「入山から那須峠を越えて那須に出る」という表記をした書物がある
この理解はどこか違っているのだと思いはじめました。 つまり、
  • 右図で「那須峠」としたところが「横見峠」であり、
  • 右図で「石造物」と記入してあるところが「那須峠」である
のではないかと。


那須峠は稜線上の峠だと誤解していた


再度資料を読む

    今までの理解は、須田 茂さんの「群馬の峠」の記述に頼っていました。 が、そこに私の読み違い・思い込みがあったのかも。 そこで、再検討は「群馬の峠」をいったん閉じて行うことにしました。

    「甘楽野今昔物語(かんらのむかしがたり)」 深沢 武 著 あさお社 刊 (1985年) の「甘楽町の峠路」 に、つぎのくだりがあります。

一の宮の貫前神社から額部を通り、藤田峠、那須峠をこえ、稲含神社に参拝する道程

もし那須峠が野上から秋畑に通ずる峠であるならば、上記のルートは成立しません。 富岡額部から岩染を経由して藤田峠を越えて秋畑谷ノ口に入って、そこから稜線上にある峠を越えたらふたたび富岡野上に戻ってしまうのですから。 やはり当初の私の解釈は間違いでした。 さらにこの話の中では、

入山部落の手前で左折、山渓にしたがい、山腹を屈折すれば、峠をこえて那須にでる。 これが那須峠で、乾季であれば、小型四輪車も通うことができる。

とあります。

    この本は、秋畑生まれの筆者の深沢さんが自らの言葉で語っています。 那須峠は、入山と那須の集落を結んでいるのです。 つまり那須峠は村境の稜線上の峠ではなく、秋畑村の中でふたつの集落を結ぶ峠なのです。

    ここで触れられている自動車が通れる道は、 古来の徒歩道とは異なっているでしょうが、いっぽうおそらく現在の道と同じであったものと思われます。 現代の地図に明治期の地図に描かれている古道をオーバーレイしてみると、古道も自動車道も、同じ鞍部を経由しています。 そしてそこは、石造物があった場所。 どうやらここが那須峠であると思えます。

    他はどうかな。

岩佐 徹道 「群馬の峠」南西の峡
    記載なし。

松尾 翔 「西上州山地・人間との境をゆく」
    記載なし。

「甘楽町史」 九 交通・運搬・交易 (一) 交通路
    2 藤田峠

    まだ自転車を利用する人も少なく、人々がみんな歩いて富岡方面に通った明治、大正、昭和の初め頃まで、 標高も五百十bと割合低く比較的近道であるこの峠は、那須、入山、赤貝戸、矢の口、百瀬、赤谷、赤谷平の人々が、殆どこの峠を越えて、富岡、一之宮方面に出た。 那須の人は村の中央を東西に走る山脈にある標高約六百b程度の那須峠を越えて矢の口に出て、 更に藤田峠を越えて行った。 十二月二十七日の富岡の年末大売出し、一月二日の初市、四月一日の雛市、そして農休みやお盆の買い物の時等には、 峠の道は、荷物を背負って越す人々の行列が、峠から峠へ長く続いた。藤田峠の高原にも、峠の麓の部落矢の口にも、 また峠向こうの麓の部落旧額部村岩染にも、酒屋があって、通る人はそこで荷物を降ろして休み、一ぱいやって旅の疲れをいやした。

「甘楽町之地名」秋畑地区
    二ノ倉(ニノクラ)

    那須から入山にゆく那須峠の東方一帯の公称地名。東方来波の浦山の最奥に近い所に岩場がある。『倉』は岩場につけられる場合が多い。 表土地名。

    那須峠は入山と那須の間という記述がひとつ、那須峠は那須と矢の口の間という記述がひとつありました。 甘楽町史での「矢の口」は現代の地図で「谷の口」と表示されているところでしょう。ここは藤田峠の南側入口にあたります。 昭和27年に応急修正されたバージョンの5万図をみると、いまここが那須峠だろうと推定している場所からは入山に向かう小径と谷ノ口に向かう小径の2本が描かれています。 甘楽町史も甘楽町之地名も、いずれの記述も那須峠の場所推定を支持してくれています。


ここが那須峠なのだろうか


那須峠の馬頭観音


1798年。



「群馬の峠」に戻る

    さてここが那須峠だとして、もう一度 須田 茂さんの「群馬の峠」を読み直すと、

須田 茂 「群馬の峠」p42
    那須峠 800m 甘楽町秋畑の那須〜富岡市野上の宮城
    那須は秋畑の最西端の地区であり、本峠は那須から富岡方面へ至る道である。

    那須から那須峠を越えて谷ノ口を経由して藤田峠を越えれば富岡市岩染に出られますし、 那須峠から入山を経由して入山峠を越えれば富岡市野上の宮城に出られます。 解説文は正しいといえます。

    ただし谷ノ口ルートと入山ルートでは谷ノ口経由のほうが古くは主流であったようです。 さらに目的地を考えると、谷ノ口経由で藤田峠を越えるのは当時の市街中心であった一の宮ならびに貫前神社に行くときであったろうし、 入山ルートで宮城に出るのは町としては小さいけれどすこし近い下仁田に買い物に出るときだったのでしょう。 いずれにしても「秋畑那須〜富岡野上の宮城」としてしまうとさらに入山峠を越えなくてはならないので、 ここは「秋畑の那須〜秋畑の谷ノ口および秋畑の入山」とするべきでしょう。


那須峠が明記された地図があった!!

    さて、自分的にはほぼ確信が得られたのですが、素人の推測ではなくてなにか公式な文書に書かれていないものなのかなあ。 甘楽町史にも書かれていないしねえ。 で、いろいろ調べて、おおっ、あった!! 甘楽町のウェブサイト をすみずみまで注意深く読んでみてください。 石造物があるあの鞍部にしっかりと「那須峠」と書かれています!! その標高は691.1m。

    さらにこの情報は、須田さんの「群馬の峠」にも、そしてほかのどの地誌にも記載されていない大根峠の位置をはっきりと示しています。 いままで推測にしかすぎなかった 横見峠 の位置も、 二本岐峠 の位置もこれで確定。 おお、世の中にはまだまだ私が知らない情報源があるんだ。


那須峠の位置を修正
[注: 入山峠の位置は誤っています。]



那須峠の謎は続く

    これで那須峠の謎ときは終わりと思ったのですが、実はまだ謎が残っているのです。 ここにある石造物のひとつは小さな石祠。 峠なんだから山の神があるのは至極当然で不思議ではないことなのですが、 その石祠に祀られているのはなんだか・・・ハンマー? いや、それともこれは・・・なんだろう、とにかくハンマーに似た道具に見えます。 帰って写真を見ていて気づいたので実物をつぶさに見てはいないのですが。 この道具は実際何であって、それを収めた理由・背景とはいかに。 これからも那須に足を運ぶ理由は、うまい蕎麦を食べに行くだけじゃないぞ。


那須峠の石祠




なあんだ

    那須峠の石祠、再訪してもう一度見たら・・・祀られているのはハンマーではありませんでした。 竹の棒でつくられた御幣。 なあんだ。 ただ単に撮影時のフラッシュの光の具合でそう見えただけだったのですね。 ともあれ、もういちど合掌。

    小幡から戦場・来波経由で車で行くとラボから那須峠まではそれなりの距離感がありますが、 モーターサイクルを使うなら藤田峠で谷ノ口に降りて林道二ノ倉線を使えばわけなく着くという感覚です。


ハンマーではありませんでした




次に目指すのは

    いまでは甘楽町秋畑の那須の人々は県道富岡神流線を使って雄川沿いに車で富岡やそのほかの街に買い物に出ますが、 この県道が開通するのは明治末期のことで、それまでは遠くて通行困難な箇所のある雄川沿いの道よりも、峠を越えて下仁田に出ることのほうが多かったようです。 そのためにまずは那須峠を越え、つぎに横見峠に向かいました。 というわけで、 次は横見峠だな。



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May. 05, 2014 Page Created.
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