The Till: SUZUKI V-Strom 1000 ABS DL1000A (VU51A)
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毎週末の第3研究所往還生活はすでに7年目。
このまましばらく続きそうです。
いっぽう6年6ヶ月の間の毎週末の夜間長距離高速通勤をきちんとこなし、
ときにオンロード車の範疇を超えた過酷な峠越えツアーを走り抜けてくれた
ティーディ
は走行12万km、
顕著なオイル消費と燃費の明らかな増大、
パワーの低下とレスポンスの悪化が目立つようになってきました。
車齢20歳、各部の消耗と劣化が進む中で純正部品の供給も終わり始め、
引退させても全く不思議のない状況となっています。 目下最大の懸念点はエキパイとマフラーの接続部の完全破断で、 補修用の材料費と修理工数を考えるともはやマフラーエキパイの新品あるいは中古品交換しか解はなさそうです。 それで排気漏れ問題を解決したらつぎはただちにチェーンとスプロケット周りの新品交換が必要。 でもそうしたとして、あと1年延命できるかどうか。 その一方で、ティーディは私のニーズにあまりに適しているので、 同等あるいは凌駕する能力を期待させてくれる後継車種はなかなかみつかりません。 長いことずっと、いつかはスーパーテネレ、と思い続けてきました。 しかし実際には50歳台も半ばに差し掛かり、自分の体力も日増しに落ちていく中、 装備260kg台のスーパーテネレは山奥で倒したり落輪したりスタックしたりすれば自力リカバリ不可能に陥ってしまうでしょう。 週末に仲良くグループツーリングみたいなぬるい楽しみ方ならいざ知らず、 私の使い方には、非常に残念ですが、もはや諦めざるを得ません。 辛い決断。 指の間から零れてしまった夢。 すでに数年来予想されてきた700ccパラレルツインのヤマハのアドベンチャースポーツは今年7月のデビューの噂が有力でしたが、 社内のEuro4対応の優先度付けのためか出てくる気配はなし。 T7が出るまでなんとかティーディで繋ぎたいと思ってきましたが、 どうやらそれは無理な様子。 ですし、T7はコンセプトを見る限りオフロード性能に振りすぎていて、 私に本来必要な長距離通勤車の適性に関しては劣ってしまうだろうことも明らか。 900トレーサーは、通勤には適していても、ステップを見ればダートに入ってはならない車なのは明らかだし、 低いマフラーが地面に引っかかって進めないという情けないことになってしまうでしょう。 ティーディ後継にはなり得ません。 装備230kg台で、山岳不整路走破能力とペイロード積載能力を具備した、全天候夜間長距離高速通勤車。 山岳ツアー専用車としてなら2016年型アフリカツインがほぼすべての要件を満たしていますが、 スタイルとアウトフィットのラリーレイドテイストが強すぎて、なにかそぐわない。 でももしこのままなにかズバリのモデルが出ないままティーディが毎週の通勤ユースに耐えられなくなったら、 そのときはアフリカツインだな、と考えていました。 完全に破断してしまったティーディのエキゾーストパイプの修理に使うグラスウールとステンレス締結バンドを買うために、 ヨメとポゴと一緒に第2研究所に向かう途中でオートバイ用品店に寄りました。 同じ建物の中に隣接して、このお店の隣には新車・中古車を売るバイク屋さんがあります。 ママに似合ういい125cc車でもないかね、と、いつも通りに展示車を3人でなんだかんだ言いながら見て回ります。 するとママが、 「あれっおとうさん、これなんかどう? 山も行けるし、通勤もラクラク」 V-Strom? 2014年式? こんなのあったんだ。ダークレッドの塗色が落ち着いてて上品な感じだな。 「リヤボックスもついてて背もたれになるしリヤシートもいい感じだよ」とポゴ。 「それにおとうさん、これクラッシュガードとナックルガードに思いっきり転倒痕が入ってて、だからお値段格安。 どうせあなたはこんなキズ気にしないんでしょう?」とママ。 そこに店員さんが、 「お客さん、転倒歴をお気になさらないのでしたらこれホントお買い得ですよ。 フル装備ですけど、今月末に出る新型の半額です。 さっきもこれをしばらくご覧になっていたお客様がいらして、一日考えてまた明日来るっておっしゃってました」 「でも…あの、ええと、これ車重どのくらいです?」 「調べてみますね・・・あ、229キロです、ケースついているのでそれよりちょっと重いはずですが」 「それって、乾燥じゃなくて、装備で?」 「はい、装備で。車両重量で229キロです。車検証にもそのように」 「じゃあティーディよりも軽いってことか…。」 ・・・ 却下する合理的な理由がない。 「そうよ、こんな出物なかなかないかもよ。 毎週毎週修理なんかしてないで、あなたもうコレ買っちゃいなさい」 「そうだよおとうさん、買っちゃえ買っちゃえ、今日は父の日だしさ」 「ですね… コレ、ください。」 もう長いこと悩んでいたティーディ次期車は、たまたま立ち寄った店先でたった15分で、それまで考えてもみなかったマシンに決定。 完全に想定外の人生!! |
2017-06-25 ライディングブーツ新調 Simpson SPB-201 18144円 DAMM Flapper Syndyブーツ 16200円 |
さあ初の通勤。
ティーディよりも高い位置にあり、より垂直に近い角度に設定できるウインドスクリーンの防風性能はとても良好。
巡航時にヘルメットのシールドを降ろす必要がありません。
パワーはもちろん十分だし、その出方もジェントルでスムース。
トップギアからの追い越し加速も楽。
90km/h以上では強い振動が出ていたティーディに比べ、エンジンの振動はずっと弱く、これは長距離巡航に嬉しいポイント。
リアサスペンションの初期ストロークはソフトで、路面からの突き上げはなく、これもうれしい点。
直進安定はビシッとしたものではないので、疲れが出てくるとやや蛇行してしまうかもしれません。
いっぽうこれは進路変更がたやすいという美点でもあります。
一番気になっていた腰への負担は、やはりティーディに比べてしまうとすこし大きめ。
シートとお尻の相性もティーディほどではなく、1日1000kmを走るとそれなりに疲れが出てきそう。
長距離走行時はパッド入りインナーを使うなどの工夫が必要かもしれません。 いつもの高速巡航速度では瞬間燃費計はリッター19kmを示しています。 最後の1年、ティーディではこの条件でリッター15km〜14kmでしたので、無鉛プレミアム指定のために燃料単価が高くなっている分は相殺できるし、 ストライドも長くなりそうで、これはうれしいなあ。 ETC OBEがなくて深夜割引も利かないので、帰投走行は東松山で降り、遠回りのヤマ経由にします。 給油せずとも走り切れる距離のはずですが、やはり不慣れなマシン。 不安なので秩父まで行って給油し、そこから土坂トンネル経由にしよう。 巣掛峠は、巣掛トンネルが開通する以前におそらく ハスラー50 などで走っていると思うのですが、確証がなく、今回初到達ということでログに記入します。 ティルでの初到達記録第1号。 リフレクタ方式の縦置き2眼ヘッドライトはティーディに比べてずっと明るく、かつワイドな配光なので、 深夜の山道でもさほどには困りません。 が、タイトターンの先はやはりほとんど照らしてくれないので、 コーナリングランプ追加は必要です。 ティーディから外して使うか、あるいは新しいものを買うか? 夜の峠でひと休みするとき、IG ONでヘッドライトが強制点灯してしまう、つまりヘッドライトON-OFFスイッチがないという現代の二輪車の仕様はとても不満です。 エンジン停止でヘッドライトONままを続けるのはとても不安なので、エンジンをかけたままにするか、 あるいはIG OFFして真っ暗な峠でひとり怯えるか。 ここは改善あるいは対策が望まれます。 塩沢峠の登りの一部区間には、斜度20度に近いかなり急な上り坂がありますが、 さすがにトルクフルで、斜度を感じさせずにグイグイ登ります。 し、低回転大トルク時のジャダー感も少なく、快適。 タイトターンではティーディよりも自然にリーンアウトが決まります。 というより、全体としてオフロード車の走らせ方が合う車体です。 低速大転舵中も走行ラインを変えるのが楽で、格闘する感覚はなく、大型のボディを意識せずに済みます。 ただしマスの集中感はやはり弱く、フロントからテールエンドまで質量分布していて慣性モーメントが大きいという感じ。 オフロード車のそれではなく、 バンクを使って瞬間的にスパッと向きを変えるといったことはもちろんできそうにありませんが、 長距離ツアー主体の私の使い方にとってみれば、けっこういいバランスだな。 今夜の路面は完全にドライ。 杉の落ち葉はまだところどころありましたが、 山岳路区間ではABSやトラクションコントロールが介入することはありませんでした。 全体を通して大きな問題点はなし。 いい感じです。 2017-07-07 Expedition 1 帰投走行 #01 千束峠 [再] #02 巣掛トンネル [再] #03 巣掛峠 [おそらく初] #04 土坂峠 [再] #05 塩沢峠 [再] #06 ホーロク峠 [再] #07 小峠 [再] |
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昨年は有給休暇を数日分流してしまったのが悔しくて、調整がつくなら計画休暇を、と考えてました。
幸いにも緊急案件が発生しなかったので、それでは1週間ほど。
ロングツアーに出るなら排気管の新品交換を含めてチェーンやスプロケットやらブレーキディスクやらいろいろとレトロフィットしないといけないなあと考えていましたが、
期せずして今回は新車同様のティル。
ETC OBEはついたし、NV-U37の電源は汎用USBシガーチャージャを使ってインパネのアクセサリーソケットからとります。
作業はUSB Aプラグ-DCプラグのケーブルを一つこしらえただけ。 スズキ純正両サイドのパニアケースとトップケースをもつティルはそれだけでロングツアラーの雰囲気ですが、 このハードケースというやつは案外にモノが入りません。 ケースの内法よりちょっとでも長いものは入りませんし、 内法は実は大して大きくありません。 サイドケースは横開きなので何でもかんでも気軽に放り込めるというものでもありませんし、 右サイドケースはマフラーの干渉を避けるため内側が大きくえぐられていて、見た目ほどには容量がないし。 今回のツアーではトップケースは外し、昨年購入したRough&Roadのツアーバッグを使います。 内容量80リットル、必要に応じてさらに気室を拡大できるし、ポケットも大きくて実用的。 防水性能は劣りますが、 プラスチックケースであっても完全ウォータープルーフでもないので、 結局個々の荷物をプラスチックバッグに入れる必要があるのは大差がありません。 し、こっちのほうがずっと雰囲気あるよね。 さて行先ですが、今回はまったく予定のない気ままツアーを決め込みます。 ということで岩手。 今回はスズキ車だから、30年前のRH250での岩手峠越えツアーの続編、みたいに。 違うのは、今回はすべて宿をとるということと、 当時の数倍の数の峠がデジタル地図にリストされていてすべて電子誘導に依存しているということと、 1日1時間の業務連絡時間帯を設けざるを得ないということ。 しかしこれらのことも確定はしていないままに出発の前日の夜。 1週間アパートでジャズとワイン漬けでもいいし、短期集中でピアノ教室に通ってもいいし、各駅停車の列車の旅に出てもいいし、 ネバダ・シティの安モーテルに泊まって連日古びれたカジノで夢を見ながら負け続けてもいい。 これぞ本当の自由だ! 無限のようにさえ感じられる可能性の中から選んだのは・・・岩手の観光ホテル。 未来の世界線はぐっと収束しました。 一気に岩手入りしようと思って常磐道を北上し続けていたのですが、 途中NV-U37のマップに未到達の峠が現れたのを見て、そうだ、今日はこのあたりを先に廻っておいてから一関入りしよう。 午後から天気が悪くなるという話だしね。 ということで新地インターで降り、阿武隈高地北部の、見事に一直線に連なった峠群をめぐることにしました。 まずは大沢峠へ。 この峠は近年新たに開削された道ですが、供用停止された旧道車道の峠部分も残っています。 ここに限らずこの10年ほど、こういった車道峠の世代交代が進んだところもよく見かけるようになりました。 徒歩道、牛馬車道、軽トラ級の未舗装自動車道、1.5車線の舗装自動車道、そして今は片側1車線の自動車道。 自動車交通時代に生きつづけている峠であっても、自動車用道路だけで第3世代に入った峠が多くなってきた、ということですね。 |
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鈴宇峠は新しい自動車道が開かれていて、経路上の最大標高地点は旧道と新道とではすこし異なっています。
旧道峠だったはずの地点で停車し写真を撮って、よし到達と走り出してカーブを曲がった先の新道の峠にくると、
峠上の行政区標識にはっきり「鈴宇峠」と書かれています。
新道開削によって峠の位置はすこし動いたけれど、峠としてのアイデンティティはきちんと引き継がれている例、でしょう。
写真を撮ろうとティルを路肩に止めてサイドスタンドで立たせ、マシンから降りようとしたら、
するするっと車体が前進してサイドスタンドが外れてしまい、うわわっと支えようとしたものの、ゆっくりとガッシャン!
うわーいきなり立ちゴケだ!! 峠で一休みをする場合はふつうエンジンを止めるのですが、今回はたまにクルマが通る道ですからハザードを出します。 しかしハザードを出すためにIG-ONのままだとヘッドライトもつきっぱなしで、短時間だから大丈夫だとはいえエンジン停止のままだとちょっと不安、 そこでエンジンをかけたままサイドスタンドを出す… このためにはニュートラルを出さないといけません。 そう、平坦に見えた路面が実はそれなりの下り坂で、ニュートラルを出していたために車体が前に進み、サイドスタンドが外れてしまったのでした。 うーちくしょう。 絶対何か対策してやるぞ。 |
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高瀬峠は、最初ミスルートしてしまい、小粒径の玉砂利の急坂に入ってしまいました。
こんな砂利の急坂登りでは強介入にセットしたままのトラクションコントロールがほとんど効きっぱなしになってしまいます。
困るほどのことはありませんけど、これは効きすぎだなあ。
ミスルートに気がついていったん戻り、弱介入にセットしなおして正しいルートに。
こちらも砂利の急坂ですが、後輪を軽くホイールスピンさせながらの登坂が自然に行えます。
ラフロード走行時はトラクションコントロールは"1"にセットしておくべきなようです。 馬船峠はジムニー級ですがかなり荒れており、わだち部は道路中央部に対して5cmから所によっては10cm程度にも掘れていますし、 雨水による溝掘れも少なくありません。 しかし交通量は極少と見えて、路面は一面に草で覆われています。 このとき大型で高い位置にセットされているウインドスクリーンと、大型タコメータと多機能デジタルディスプレイをもつインパネの問題点が明るみに。 いまから前輪が越えようとするすぐ近くの路面が、インパネに邪魔されて見えないのです!! インパネ越しに見えている路面はほとんどウインドスクリーン越しに見ることになりますが、 スクリーン下端部は歪んでいるため、路面も歪んで見えてしまいます。 それではと頭を左右に振ってインパネを避けてみようとすると、 右目と左目のどちらか片側だけがスクリーン越しになってしまうので、片目だけ歪んだ像のために立体感が狂わされ、 わだちの深さや掘れ具合、あるいはキャンバーの形状を見誤ってしまいます。 オフロードライダーはわだちの溝など路面の3D形状を把握して走行ラインを決め、あるいは前後輪の振られ具合を予測して進むわけですが、 路面の3次元形状を見誤ってしまうために、予期せず車体が振られてしまうことになります。 マシンのせいなんかにはしたくないけれど、これはキビしいなあ。 そう思いながら急坂の登りをどうにか進んでいるうちに、またまた大きくバランスを崩し、足をついて堪えたもののやっぱりダメでゆっくりドサッと。 草に隠れて見えなかったハンドボール大の石を乗り越えるような走行ラインになってしまっていました。 くそー、初立ちゴケだけじゃなくて初転倒もはやばやと記録か。 ティーディならフロントウインカーが破損していたのでしょうけど、さいわいティルではダメージなし。 サイドボックス取り付けが内側に入り込んでしまいましたが、手で引っ張り出してバキッという音とともに元の位置に戻りました。 |
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箕輪峠は峠上が採石場になっていて峠部の山体が大きく削られています。
見晴らしはいいけれど、古い峠部は文字通り消滅していました。
これも峠の運命の一つだねと思いつつあたりを見回して風景を眺めていたら、
あれ、これは? それはポールに簡便にとりつれられた、紙の塞神さまでした。 峠がもつ意義のひとつ - 地域間インターフェイスのゲートウェイとしての認識 - それゆえ、悪いモノが自コミュニティに入ってこないようにと願う塞神信仰。 すっかり削られ、もはや誰も立ち止まらず通過点にしか過ぎない箕輪峠ですが、 峠の信仰は今でも受け継がれていることが知れました。 |
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初日は予定より早く宿の近くまで来れましたが、
午後2時、かなりひどく荒れている七曲峠の頂上では、遠くで雷の音も聞こえ始めました。
まだ十分には慣れていないニューマシンでの初ロングツアー、
加えて立ちゴケ・微速転倒・ヤブ漕ぎ走行の連続ですでにかなり疲労しています。
ので、峠から宿に電話をかけ、午後3時に早チェックインしたい旨を告げました。
雨が降る前にお宿に入って休もう。 すでに消耗しきった体力、荒れた峠の下りで転倒しないよう注意しながら降り、舗装一般道に出て少し進んだら、 雨が降り始めました。 せいぜいあと10分で宿だから、と、レインスーツの用意も億劫になってメッシュジャケットのまま進んだのですが、 道路の先は・・・まるで異界に飲まれたかのように真っ暗です。 そこへ突っ込んだとたん、まるで洗車機の中の様相。 ほとんど瞬間的にライディングパンツの中もブーツの中も浸水。 台風にせよ夕立にせよヘビーレイン走行は慣れていますが、それでもこんなにも視界を奪われる豪雨はあまり経験がないぞ! マシンはがっちり安定して走ってくれますが、車速を30km/h台にまで落とします。 加えて至近距離に立て続けに落雷。 かなり危険な状況。 本来ならばマシンを止め、マシンから離れて土砂降りの中横たわるべきだったのだと思います。 が、まもなく道路の両脇に建物が続きはじめ、やがて市街中央部に入りました。 幹線道路はすでに脛の高さにまで冠水していました。 クロスウォーターは大好き! なにしろ暑い一日を走ってきたので、全身ずぶぬれが気持ちいい! 以前に泊まったことのある宿なので入り口は軒付き駐車場になっていることを知っていました。 宿に着いてすぐにそこにティルを滑り込ませると、 そこにはあまりの突然の豪雨にびっくりして出てきて外の様子を見る従業員さんやら、 駐車場まで行きたいけど傘も役に立たないので出るに出られない法事終わりのお客さんやら。 そこに大型バイクで入ったもんだから、 「あれあれこんな雨の中バイクで大変でしたね!」 「ライダーですから覚悟はできてますけどね、こんな強い夕立はほんと久しぶりですよ」 「いやーでもこんなのは普通じゃねえなあ!」 とすぐにみんなの輪に入れて。 そう、この感覚。私の旅の一週間が始まったことをあらためて感じます。 2017-07-22 Day 1 発時 9503km 着時 10091km 走行 588km 2017-07-22 #01 大沢峠 [初] 2017-07-22 #02 旗巻峠 [初] 2017-07-22 #03 鈴宇峠(車道) [初] 立ちゴケ 2017-07-22 #04 福田峠 [初] 2017-07-22 #05 小斎峠 [初] 2017-07-22 #06 高瀬峠 バラスダート急坂 [初] 2017-07-22 #07 馬船峠 激ヤブで微速転倒 手前でDL1000A進行断念 徒歩 [初] 2017-07-22 #08 明通峠 [初] 2017-07-22 #09 割山峠 [初] 2017-07-22 #10 箕輪峠 [初] 2017-07-22 #11 化粧坂 [初] 2017-07-22 #12 七曲峠 荒廃路 [初] |
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Day 2。
昨日午後2時半からの猛烈な雨は夕立みたいな感じで4時頃には止んだものの、
実は東北の日本海側、とくに秋田県で大雨低気圧が活発に活動していて、かなりの被害も出ています。
その影響で岩手も北に行けば行くほど天候は悪い、とのこと。
今回はなにしろ予定なしの気まま旅が目的であり、強い雨の中ひたすら未知の峠を求めて走る責務を自分に課してはいません。
で、宿に尋ねると、たまたま明日も一部屋空いていて連泊が可能とのこと。
そのようにお願いして、一日強い雨の日曜日は文字通りの休息日として、宿でまったり過ごすことにしました。 雨はさほどには強くないものの、上流からの水かさが増しているために猊鼻渓川下りは途中折り返しコース。 普段なら川底が見える砂鉄川も濁っています。 それでも霧に霞んだ猊鼻渓に響く船頭さんの舟歌は神秘的。 なんかここ、ハマっちゃった気がする。 きっとまたいつか来るだろうな。 旅先で一日のんびりデーを入れてみたかった、というのはややタテマエな部分もあります。 実際のところ、出発前の金曜日は仕事がなかなか片付かず帰宅は遅くなり、でも夜中に目が覚めてしまって睡眠を3時間しか取っておらず、 その後高速長距離巡行、連続峠越え、立ちゴケ・微速転倒を含むヤブ走行、最後に強烈なストーム。 もう昔のように若くはなく、あえなくダウン、がより正確な表現かもしれません。 ショートブーツとライディングパンツの組み合わせは脛のプロテクションがほとんどなく、 おそらくヤブ走行のときにバランスを崩しそうになるたびに地面を左足で蹴って、そのたびにステップで左脛を打っていたのでしょう、 脛はあざだらけ。 いったん横になると起き上がれないほどに腰も痛んでいて。 日がな一日ジャズを聴いて、温泉につかってぐだーっと。 2017-07-23 Day 2 走行0km |
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Day 3 はまだ雨が残っています。
新調したレインスーツ装備にして出発、大船渡に向かって峠をつないで東進していきます。
最初に向かった鳶が森峠は、峠の手前の経路長1600mの地点で道幅いっぱいに切り出した材木が整然と高く積まれた状態で通行できず。
一関の地蔵峠は名の通り峠にお地蔵様がいらっしゃって、しかも立派なお社に入って、丁寧に祀られています。
歴史と信仰が今に生きる峠。
いまや誰に手向けられずただ通り過ぎる車を眺めるだけのお地蔵さまがほとんどの中、
ここのお地蔵様はお幸せでしょう。 |
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一関と気仙沼の境、黒森山の北麓を超える経路上にある2つの峠、佐戸巻峠と中谷峠は、本日のハイライト。
路面は2日間振り続いている雨でぬかるんでいて、雑草繁茂もかなりのもの。
基本的には軽トラ級なのでトレール車なら全く走行には問題がないはずなのですが
(いま写真で見ると全くどういうこともない道です)、
今回はかなりの恐怖を感じ、ハラハラしながら進んでいきます。 ティーディよりもひとまわり大柄なボディ、というのももちろん影響していますが、恐怖の理由は大きく二つ。 ひとつめは、 山側の路肩に掘られている排水溝が雑草で覆い隠され全く見えず、寄ると落ちてしまうかも、 あるいはバランスを崩して足を着こうとしたらそこには地面がないかもしれない、という恐怖。 谷側も雑草で路肩が見えないため、一部路肩が崩れていても気がつかず、転落してしまうかもしれないということ。 スピードを落とし、一本橋教習を思い出しながら慎重に進みます。 ふたつめの理由は、すでに今回ツアー初日に痛感したのですが、 ティルはフロントの見切りがとても悪いのです。 フロントフェアリングを兼ねるヘッドライトボディと一体となったインストゥルメントパネルに装備された、 多機能ディスプレイ。 通常走行時は見やすいし、垂直に近く取り付けられたタコメータはどこかヴィンセント・ブラックシャドウを想起させるものがあってとてもかっこいいのですが、 ラフロード走行時はこれが視界を妨げてしまい、 いまから前輪が通ろうとする直前の路面が全く見えないのです。 さらに、ぎりぎり見えている直近の路面はウインドスクリーンの下端を通して見るために、像が歪んで見えてしまうのです。 わだちが深く掘れていたり、雨水による浸食溝が道路を斜めに横切っている場所を走行するとき、 ライダーは路面の3次元形状を認識し、前輪を通すのに最適な走行ラインをリアルタイムに求めて運転操作を続けています。 ティルでは直前が見えないため、見える範囲での3次元形状を脳内でバッファリングして、 2〜3秒後にそこを前輪が乗り上げる様子をイメージしながら進むことになります。 しかし予想と違うタイミングで前輪が振られてしまうことが連発し、ペースを落とさざるを得ませんでした。 しぱらくして、これはティルのハンドル周りのボディ形状のために、前輪が実際よりもずっと前にあるように錯覚してしまっていたためだとわかりました。 いいか、惑わされるな、タイヤはもっと手前にある。 自分にそう言い聞かせると、すこしうまく走れるようになりました。 とはいえ、ただでさえ雑草繁茂がひどくて路面の形状が見えず、近くに来ないと大きな石が隠れていることに気づけないような場合にこれは大きなハンデ! ティーディではウインドシールドの下端部は大きく切り込まれていて、前輪が通る路面への視界を確保していました。 ああ、あれはこのための配慮だったんだ、不整路走行ではこういう部分の形状デザインで走りやすさがこうも変わってくるのか、と痛感。 フロントの見切りの悪さはV-Strom1000の欠点の一つ、と言い切ってしまおう。 まあV-Stromはもともとガレ場に入ることは主眼にはおかれていないわけですし、 この先もっと経験を積んで、慣れてしまうしかないでしょう。 |
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・・・などと考えつつ3度目の転倒の恐怖と闘いながら雨にぬかるむ中谷峠を降り、舗装路にでてほっとしたら、
まだ山の中なのに最初の集落になんとおそば屋さんが! む、ここは岩手、こりゃあタヌキの仕業に違いない。 であれば、騙されてみようじゃあないか。 お母さんに迎えられて入った店内にはほかに客もなく、雨と汗でずぶ濡れのライダーはおいしい大盛りのお蕎麦と天ぷらで大ハッピー。 |
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飯森峠にも、立派やお社をつくってもらったお地蔵様がいらっしゃいました。
中の写真をと思いお社の中に身を入れると…突然ネコが!
どうやらこのお社に住むネコのようで、食べ物を持ち込んでいる人もいる様子。
その件に関する警告の張り紙も社の内部にあったりして、なかなか複雑。
ネコの食事を狙ってタヌキとかキツネとかも来るようで…
実際ここで雨の中一服していたら、
遠巻きにこちらの様子をうかがっているタヌさんと目が合いました。 今夜は大船渡温泉。 ずぶ濡れになったウェアを脱ぎ、ひと風呂浴びてから小一時間ほどリモートオフィスして、 さあ何か食べに行こう。 2017-07-24 Day 3 発時 10091km 着時 10237km 走行 146km 2017-07-24 #01 鳶が森峠 断念 [初] 2017-07-24 #02 市道峠 [初] 2017-07-24 #03 地蔵峠 [初] 2017-07-24 #04 笹ノ田峠 [初] 2017-07-24 #05 柳峠 [初] 2017-07-24 #06 佐戸巻峠 [初] 2017-07-24 #07 中谷峠 [初] 2017-07-24 #08 府中越 [初] 2017-07-24 #09 飯森峠 [初] |
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Day 4。
大船渡を立ち三陸ICで降り、国道と高速道路インターチェンジ建設でテラフォーミングされてしまった現在の地形のどこが小峠だったのだろうかと非常駐車帯で写真を撮り、
古峠 (生江峠) へ。
「歴史の道浜街道 生江峠」と入れられた標柱は半分草に埋もれてしまい、その歴史の道も草に埋もれ、無粋な「通行止め」のウマ。
生江峠は現国道45号と、先ほど通ってきた三陸自動車道にとって代わられたわけですが、
国道も三陸自動車道も、まあ味気ない道。時代の流れ。 ややガスがかかった曇り空ですが、大窪山牧場の脇を登っていく赤坂峠への道はすてきな森の道。 スマホのカメラでは心に感じた美しさはとても出ないとは知りつつ、写真を一枚。 赤坂峠は五葉山への登山道入り口でもあり、舗装車道が越える峠ですが、このわき道から登ってこられてラッキーでした。 リアス式海岸の昔の街道交通はさぞかし大変だったのでしょう。 釜石の海沿いにはそういった古い峠が多くあり、新しい車道が開かれ、さらにトンネルが抜かれ、すっかり自然に還ったところがあります。 いつかたっぷり時間ができたら尋ねてみたいとも思いますが、おそらくは昔の人が新しいルートを開拓しようとした際の努力と同じような作業になるのかもしれません。 桜峠平田線の黒崎峠は立派な片側一車線の車道でしたが、さらにショートカットする峠が開かれ、黒崎峠の区間はバリケード閉鎖。 おそらくこのまま放置されるのでしょう。 ショートカットした峠に「新黒崎峠」とでも名付けてあげたいところです。 箱根峠を越え (旧箱根峠には寄りませんでした)、仙人峠道路で遠野住田ICまで行ってからUターンする形で秋丸峠へ。 途中日出神社に参拝し、バラスダートの秋丸峠道を登っていきます。道は途中で分岐しますが、秋丸峠への道は狭くて雑草繁茂。 ティルでも入っては行けたと思いますが、いさぎよく諦めてハイキング。わずか500mですからね。 実際にはティルでも問題ないコンディションでしたけれども。 古くからの仙人峠はきつい山道ですが、1959年に開通した仙人トンネルはいまでも「仙人峠」と呼ばれており、道路標識にもそう書かれています。 トンネルの位置と旧峠の位置は相当に違うのですが、概念としての「仙人峠」が新しいトンネルに継承されたケースですね。 必ずしも「トンネルは峠ではない」とは言えないわけで、やはり峠が峠であるためには「人々にそれが峠だと認識されている」ことが必要。 峠がその命を失うのはだれも通らなくなった時ではなく、人々に完全に忘れられたときなのです。 だから古い峠を書き記し残し伝えることによって、峠は永遠に生き続けられるものなのだろう、と。 新平田峠の次に笛吹峠に向かいましたが、重要な地方交通路として今に生きるこの峠は災害道路崩落のために通行止め。 |
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今日のホテルは夕食なしなので、住田の街中でなにか食べていこう。
小さな町だけどラーメン屋さんくらいはきっとあるよね。
で、おや、
なにやらすごくおしゃれなお店
がある。
モーターサイクルツーリストがライディングジャケットで入っていいものなのかしら。 ここはこの町この地域の自慢の生産品を使った、一流シェフの手による食事をいただけるとの由。 ラーメン屋さんに比べればお値段かなり張るけれど、 今日は昼メシ抜きで走ったから、その分くらいは。 オードブル「あがらっせ」と四元豚ありすポークのグリル。 ノンアルコールビールを飲みながら手短に業務連絡を済ませ、 出てきた料理は、ええっなにこの量? お店のおしゃれ感からは想像できなかったボリュームで、おなかいっぱい! さらにコーヒーもいただいて。 とても優雅な夕食でした。 2017-07-25 Day 4 発時 10237km 着時 10466km 走行 229km 2017-07-25 #01 小峠 [初] 2017-07-25 #02 古峠 (生江峠) [初] 2017-07-25 #03 赤坂峠 [初] 2017-07-25 #04 桜峠 [初] 2017-07-25 #05 黒崎峠 [初] 2017-07-25 #06 恋ノ峠 [再] 2017-07-25 #07 大骨峠 [初] 2017-07-25 #08 鍋倉峠 [初] 2017-07-25 #09 箱根峠 [初] 2017-07-25 #10 仙人峠(仙人トンネル) [初] 2017-07-25 #11 秋丸峠 [初] 2017-07-25 #12 新平田峠 [初] 2017-07-25 #13 赤羽根峠 [初] 2017-07-25 #14 六郎峠 [初] 2017-07-25 #15 白石峠(白石トンネル) [初] |
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Day 5。
今回は出発前の週末をETC取り付けなどで費やしてしまい、床屋さんに行けませんでした。
まあ林道ツアーなんだからボサボサ頭でもいいやと思っていたのですが、
思いのほかうっとおしく、前々からやってみたかったこと…旅先で床屋さんに行く、
を決行することにしました。
ホテルを出てすぐの街道沿いに一軒あったのですがその日はお休み。
ので、世田米の街中の床屋さんに。
ほかにお客さんが一人。
お母さんと娘さんはボサボサの珍客を快く迎えていただき、楽しくお話をさせていただきます。 「峠を越えて回っているんです、昨日は赤羽根峠でクマを目前に見ましてね」 「まあこの辺じゃあふつうですよ。赤羽根峠はトンネルができたからみんな通らなくなっちゃったしね。」 さらに話の流れで柳田國男について触れると、 「ああ、それならこの先の川沿いに柳田國男さんの記念碑がありますよ、この町にもいらしたらしくて」とお母さん。 すると娘さんはすぐに「それにつけても世田米は感じの好い町であった、ってね」。 すっかりサッパリした帰り際、お母さんは 「来店記念です、これどうぞ、峠のてっぺんで召し上がってくださいな」 と、冷えたキュウリ2本をラップに包んだお味噌付きでくださいました。 うーん、なんかアタマもココロもスッキリしたぞ。 お母さんのおっしゃっていた柳田國男の碑はすぐに見つかりました。 なるほど、名士にこう言ってもらえたらそりゃあ町の人は喜びますよね。 でもその言葉は決してお世辞ではないね、いまでもまさにその通りだよ、 と独り言を言いながら、世田米から朴峠への登り口、林道朴峠線に入ります。 朴峠林道はバラストダート。 雨続きでしたが昨日今日で路面はほぼドライ、走りやすいコンディションになりました。 朴峠に着いてここでキュウリを、と思いましたが、 マシンを止めるや否や多くのアブがティルのまわりに群がり始めます。 アブはマシンが発する赤外線に寄ってくるのでしょうか、私のまわりにはあまり来ず、 しかしのんびりキュウリを食べる気にはならず、 小休止後につぎの大畑峠へ。 大畑峠の道はNV-U37にはベクトルデータはありませんが、ラスター地形図と照らし合わせて峠道の入り口をあらかじめ見当つけて電子誘導、 そこからはラスター地形図に切り替えて峠までスムースに誘導。 この切り替えが簡単にできるのはとにかくNV-U37のメリットで、 現在のスマートフォン用電子地図あるいはナビゲーションアプリでは無理。 NV-U37を買い替えることができずにいる最大の理由です。 スマホでできるのはせいぜい観光ツーリングの案内だよ。 大畑峠は軽トラ級で、路面は悪くはないものの雑草繁茂があり、慎重確実に進んで到着。 残念、ここもアブがブンブン。 お母さん、キュウリはヤマを降りてからいただくね。 峠を降り、舗装路になって最初の民家があるあたりで道端にティルを止め、キュウリをカリポリとおいしくいただきます。 2017-07-26 Day 5 発時 10466km 着時 10664km 走行 198km 2017-07-26 #01 朴峠 [初] 2017-07-26 #02 大畑峠 [初] 2017-07-26 #03 蕨峠 [初] 2017-07-26 #04 廻立峠 [初] 2017-07-26 #05 新平田峠 [再] 2017-07-26 #06 辷田峠 [初] 2017-07-26 #07 鶉子峠 [初] 2017-07-26 #08 界木峠 [初] 2017-07-26 #09 忍峠 [初] 2017-07-26 #10 神遣峠 [初] 2017-07-26 #11 馬越峠 [再] 2017-07-26 #12 有宇内峠 [再] 2017-07-26 #13 失水峠 (車道近傍点) [再] 2017-07-26 #14 古田峠 [初] |
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今日の昼食兼業務連絡はどこにしよう… 遠野の市街地に近づいてきたのでカフェを探したのですがいい店がなく、伝承園。
もう遅い時間でほかに食事の客はおらず、
ソフトクリームを食べにきたお子さん連れのお父さんが帰った後はヘッドセットを外しPC内蔵のスピーカとマイクで小さな音で国際テレコン。
「今日は基本、君が全部リードしてやってみて。ややこしいのが出てきたらアシストするから」と、
いわば実習中の状態にある海外の若手にモデレートを振りました。
一年前は右も左もわからず状態でしたが、いまはうまくリードしています。
しめしめ、ゆっくりひっつみ食べられる。 しかしあの国の若いのは、真面目で、素直で、疑問をちゃんと尋ねるし、伸びるのも早いヤツが多いね。 育て甲斐がある。こういう状況だから、もう最近は日本人の若手はあんまりほしいと思わなくなってしまいました。 |
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Day 6.
遠野宮守の磔峠は今日のハイライトでした。
ものすごい伝説が残る峠ですが、雑草繁茂もものすごくて。
路面は悪くないのでさらに無理すれば進めたのでしょうけど、なにしろ全く路面は見えません。
写真は峠の手前180m地点 (西の達曽部側) で、ここで進行断念。
磔峠の峠上には道祖神さまの石碑がありました。
歴史は草葉の陰に。 今回ツアーの初日から大型アドベンチャー車の限界を痛感して無理はすまいと思っているのですが、 最初大丈夫なようで徐々にコンディションが劣化していると、引き戻す決心がなかなかにつかず、気がついたらこんな状況で…。 えと、なんでしたっけ、茹でガエル理論でしたっけ、あんな感じ。 オフロード車ならこの程度の繁茂はわけなく突っ切れるでしょうけどね…悔しいなあ。 「あらゆる道を、冒険に変える」というCMキャッチフレーズを思いついてしまいました。 4WDクロカン車とかアドベンチャーツアラーの広告にありそうですが (本当にあるかも?) 、 あるとしたらそういう意味ですからね。 私としては、「あらゆる冒険を平凡に変える」のが真にすごいマシンなのだ、と思います。 いや、でも、どっちの方が楽しいのかな。 |
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花巻市の古田峠・滑峠・拝峠は歴史上関連している峠。
古田峠は片側一車線の車道でしたが古田トンネル開削に伴い供用停止、ロープとバリケードで閉鎖されています。
古田トンネル入り口にはトンネル開削記念のモニュメントがありますが「古田峠は、古くから交通の難所であった」と記されているだけ。
それでも記念碑に残されるだけ喜ぶべきこと。
ただしステンレス製のモダンなモニュメントの記載文字はさほどたたずに朽ちてしまうでしょうね (昨日徒歩で到達)。 滑峠はとくに標識はなくてごくふつうの交通量のない林道の頂上。 これに対して拝峠には古いコンクリート製の鳥居が残っています。 古くからの山岳信仰の対象であり、地域交通にとても重要だった峠道。 峠には詳しい解説板が設けられています。うれしいね。 |
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私は基本的には道の駅を使いませんが、目的の峠の手前450mの経路上にあって混雑もしておらず、しかもおなかがすいているとあっては…
午後2時半に遅い昼食。
おそばをいただきながら、ラップトップを開いて業務連絡タイム。
急な仕事も発生しておらずオフィスは平常運転。
アイスコーヒーとパフェをいただいて落ち着いたところで、すぐ裏の星山峠へ。 |
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小田越は30年以上ぶり3回目。
今は休日は一般車規制になっているんですね。
平日ツアーであることを感謝して、交通量の少ない長い峠道を上っていきます。
が、いけね、燃料入れてない。
通ってきたルートにはずいぶん長いことガソリンスタンドはなかったし、30kmとかの範囲内にもなさそう。
こりゃあ当初予定通り小田越で遠野に降りるしかない。
残り距離は、ティーディでは絶対にたどり着けない距離です。
が、ティルのトリップメータ、航続可能距離計、平均燃費計、燃料殘量計、NV-U37の目的地までの距離をあわせて見るに、おそらく20km以上のマージンを持って到着できるでしょう。
パワーは抑え、スピードゆっくり目で小田越への長いワインディングロードを登っていきます。 30年も経てば道路も構造物も植生も変わっていますからね、来たことのある気もするし、初めてなような気もするし。 静寂に包まれた、開放的で、どこか厳粛な、雄大な景色を望む長く高い峠。 この感覚は小田越のものですね。 下りはパワーを極力使わず、ときおりクラッチを切ったまま下っていきます。 いやもうそんなことしなくても燃料切れの心配は完全になくなったのでけどね。 遠野の街中に降りましたが、給油は明日に回して今日の宿へ。 燃費の良さはティーディに比べて大きなアドバンテージ。 郊外一般道走行の条件でティーディではリッター17km、フルタンクで340km。 ティルではリッター20.5km、フルタンクで410km走れます。 実際には十分なマージンを見越しますが、それでも燃料消費率にして15%、航続距離にして70kmの違いは大きい。 とてもありがたいことだし、今回は本当に助かりました。 街中の旅館は、文字通り歴史のある建物で、実際には戦後間もなくの建築らしいのですが、 案内された部屋はまるで明治の文豪にでもなったかのようです。 私はものすごく暑がりなのでちょっと不安になりましたが、エアコンも快調で、快適。 夕食は広間で、お膳でいただくスタイル。 うわあ、こんなのホントに久しぶりだ。 食事もおいしく、この旅館にしてよかったな。 2017-07-27 Day 6 発時 10664km 着時 10885km 走行 221km 2017-07-27 #01 中山峠 [初] 2017-07-27 #02 雷神峠 [初] 2017-07-27 #03 谷内峠 [初] 2017-07-27 #04 磔峠 [初] 2017-07-27 #05 滑峠 [初] 2017-07-27 #06 拝峠 [初] 2017-07-27 #07 花見石峠 [初] 2017-07-27 #08 古田トンネル [再] 2017-07-27 #09 雀坂 [初] 2017-07-27 #10 八卦坂 [初] 2017-07-27 #11 星山峠 [初] 2017-07-27 #12 山屋峠 [初] 2017-07-27 #13 長野峠(車道) [再] 2017-07-27 #14 折壁峠 [初] 2017-07-27 #15 小田越 [再] |
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Day 7。
楽しかったお宿のすぐ近くのお菓子屋さんに寄り、今回のツアーのみやげに明がらすを買いました。
いくら大型ツアーバッグと両サイドバッグがあるといっても、お土産品を積み込むスペースは限られます。
まつだ松林堂
[外部リンク]
のお姉さんはスペースを食う箱詰めではなく、中身をバラし、濡れても大丈夫なようにとビニール袋にきれいに詰めなおしてくれました。
こりゃあありがたい。サイドバッグにすっきり積めました。 「これからどちらへ?」と尋ねるお姉さんに、 「峠をまわってるんですけど、会社の休みを無理してきちゃってるんで、まずは10時からネットワークでつないで会議に出なきゃなんです、 どこか電波の具合がよくて椅子があってあんまりほかの人がいなくてべらべらしゃべっても迷惑にならないところがないかなあって」 「そうですか、遠野はまだケータイの電波良くないですからね、どこがいいかなあ」 実際には、あらかじめ目星をつけていたところ… 鍋倉城跡公園がズバリでした。 トイレがあるし、ベンチとテーブルがあるし、ほかには誰もいないし、 なにより遠野市街が…移動体通信網基地局アンテナも含めて…よく見渡せます。 途中小雨がちょっとだけ降りましたが支障にならず、 「そんじゃあそんなわけで次は夕方6時に。それまでは多分電波ダメだから」と。 テレコンを済ませて、給油。 タンクは残り1.5リットル、あと30kmという状況でした。 おおむね予想した通り + さらにちょっとマージンがあった、という感じです。 |
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まったく予期せずに山の中ですごくおいしいおそば屋さんに出くわす、などという幸運はそうそうありません。
そろそろお昼をと思ってもその時間はたいていお店どころか人家すらないような山の中にいますし、
里に下りてもそもそもお店がぜんぜんなかったり。
3回に2回は昼メシ抜きで走っている、という感じ。
昼食をとらずに走りまくって気づかぬうちに糖分不足・水分不足・電解質バランス不良に陥ったことが判断ミスの原因のひとつだったという真因分析結果
もありますので、できるだけ避けようは思っているのですが。 で、山里の小さな雑貨屋さんでベンチに腰掛け菓子パンと冷たい缶コーヒー、というのも 案外に好き です。 バイパスができて地元住民だけの交通量しかない静かな通りのよろず屋さん、 しかも周囲には地元の人によって維持管理されているミニお花畑だったりプランターだったりがあって、 それ自体がくつろげる場所、というのは実はけっこう貴重だったりして。 見つけたときはハッピーな気分に。 |
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峠をつないでルートを進め、越路峠から阿原峠への道に入ると、自分でも表情がこわばって来ているのが分かりました。
雑草繁茂のひどい細い未舗装路を慎重に進んで阿原峠まではたどり着けたのですが、
その先はどんどん細くなって、雑草もさらにひどく茂っています。 基本的にダブルトラックなので、転落を恐れて山側の右トラックに乗って進みますが、 ティルの車体右半分は洗車機の中で回転ブラシを受けているような状態。 ティルご自慢のくちばしが、草を車体右側に分ける役割をしてくれています。 雨は降っていないのに、下半身は水滴をたっぷり含んだ草での連続ブラッシングを受け、 ものの5分でブーツの中は強い雨の中を走ったかのようにぐちょぐちょ。 軽トラ級の道の路面は実際には悪くないのですが、 なにしろ雑草繁茂がひどく、路面の状態も路肩の様子もまるで分かりません。 もし雨水で路肩が落ちていたら気づかずに前輪を落としてしまうでしょう。 もはや転倒覚悟で進むしかありません。 しかしおなじ転倒覚悟といっても、ボディアクションや路面蹴りで立て直すことができ、 転倒したとしてもダメージも少なくて引き起こしも容易なオフロードバイクの場合とはちがいます。 道幅も狭ければ足元も悪く、引き起こしすらできないかもしれない重量級の大型ツアラー。 恐怖の度合いが桁違いです。 この道幅と雑草ではUターンはできたとしてもかなり難儀、どうにか通り抜けられることを強く願い、 突然の転倒の恐怖と闘いながら、低速で進んでいきます。 実はこの区間、どういうわけかNV-U37のGPS NMEAログが残っていませんでした。 いちばん道が狭く進みにくかったのは阿原山の南側〜西側稜線の急斜面をトラバースする区間だったはずで、 ローギア半クラッチでの進行でした。 そのあと道幅は少しずつ広がり、やがて阿原山牧場の外縁に出ました。 もうこれで大丈夫だ! と安心すると、視界は突如広大に開け、宮沢賢治の歌碑と記念碑と東屋が設けられている阿原山高原に出ました。 な、なんてこと! 観光ガイドとかは全く事前調査していない今回のツアー、 突然の神様の思い付きであるかのような天空の世界のプレゼント。 昔それを知らず、全く予期せずに荒川高原の広大な世界に出たときと同じ感覚。 暑くも寒くもなく、風もなく、物音ひとつしない無人の世界。周囲一様の白い光。 見渡す限りの無感覚。 私が寝ていて見る夢にこういった風景がときおり出てくるのですが、まさにそれ。 ひょっとしたら今私は夢を見ているのか、それとももう生きてすらいないのかもしれない、 そんな思いにさえとらわれるほどの、夢の世界。 この感覚が、私にとってのイワテなのだ。 |
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私にとって前回・今回の岩手ツアーは、1986年の
スズキRH250
での岩手ツアーの足跡をちょっとだけ辿るという意義もあります。
電子航法もなく、正確な道路地図さえなく、宿に泊まらず、食事もまともに取らず、休むことさえためらってただひたすらに走り続けたツアー。
どこをどう通ったのかの正確な記録もなく、多くはない写真とおぼろげな記憶を頼りに、若く無謀だった自分の姿を見てみたいという気持ち。 深夜の峠にテントを張って雨の一晩を明かした時の写真があって、だけどそれがどこなのかわからず。 記憶を頼りにGoogle Streetviewをさまよって数時間、おそらくここだったはずと同定したのが田原峠。 阿原高原の夢の余韻に浸りながらヤマを下って今回実際に田原峠に着いてみると、 木々は大きく育ち、テントを張ったスペースは背の高い草に覆われ、様相は一変していました。 が、背の高さほどもある草をかき分けると、そこにははたして、テントの写真に見えている道路開通記念碑がありました。 やはりここだったのだ! 夢の無感覚の天空のつぎは、過去へのタイムスリップ。 1986年08月14日の田原峠到達を最終確認、そして今回再到達の記録。 |
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田原峠から大東町沖田へ降り、大東町渋民に行く道は、間違いなくRH250で通っています。
当時の写真で「峠」というバス停の前で撮ったRH250の写真があり、そこがどこなのかは30年近くわからなかったのですが、
GoogleのサーチとStreetViewのおかげで沖田渋民線のバス停だということが2年前に判明しました。 で、今回そこにも立ち寄りました。 すると・・・ そこには単に「峠」という名のバス停が今もあっただけではなく、地元の人たちによって建てられたとてもすてきなパノラマ解説板 --- スチールでできたフレームを通して生の景色を切り取って眺める -- があり、さらに解説板には「中屋敷峠」という固有名が書かれています!! うわあ、はるばる現地に赴いてはじめて判明した事実! きっとこの峠のように、古くから地元の人に呼びならわされてきた数多くの峠の固有名は、公式地図に掲載されず、地誌にも掲載されず、 たとえ活字化されたとしても地域住民対象の地区報のみ、インターネット上になぞ公開されておらず。 よってほかの誰の興味も引かず、研究者たちの調査にも引っかかってこずに、知られないままになっているような峠がたくさんあるのでしょうね。 私の峠データベースには約2700の峠がリストされています。 これに登録してあるのはおおむね名古屋から東だけですので、 日本全国で固有名が地図や文献で確認することのできる峠のざっくり半分が登録されていると考えて、 日本にはおよそ5000の峠があるということになります。 一方でその昔、柳田國男は著書の中で日本の峠の数はおよそ1万5000は下るまいと書かれておいでです。 その数を拠り所にするならば、いまや1万もの峠が、伝承されないままになっているということです。 徒歩交通の最後の時代に少年期だった人々はもはやご存命であっても高齢、 自らインターネットに回想録などお書きになるわけもなく、 この先10年程度の間に1万もの峠があらゆる記録から、つまり歴史から、消え去っていこうとしています。 ああ。 |
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さあこれで終わり、もう日も暮れかかっているし、普通に国道の峠をひとつ越えて宿に行こう。
国道に出て、安全運転している車列についてちんたらと走っていると、NV-U37のディスプレイに未到達車道峠のシンボルが出てきました。
これは? ああ、鳶ヶ森峠か。
切り出した材木で道が塞がってたんだったっけ。
で、いま走っているのは、その反対側か。
てことは・・・ 分岐入り口がここにある!!
ブレーキをかけ車列から離れ、Uターンして、その分岐に入りました。
逆からなら行けるかも!? 道は交通量のほとんどない軽トラ級になりました。 すでに日は沈んで薄暮状態。普通なら入って行く条件ではありません。 完全に日が沈んでも走れる道路状態でかつUターンが確実に可能な範囲で進み、 荒れ具合がさらにひどくなりはじめたところでティルを止め、ポケットライトを取り出して速足で峠に向かいます。 徒歩で10分、無理しなくてよかった、細い倒木が何か所もあり、昼間ならともかく夜でティルじゃあ危険すぎる。 ここは国道343号の旧道で、昔はよく利用されていたものの、鳶が森トンネルが開通して利用が激減し廃道化した・・・わけです。 猊鼻渓のお宿の従業員さんは 「はてねえ、もう誰も通らないからなあ、行けるかなあ」 とおっしゃってましたね。 答えは、「通り抜けはできないけれど、猿沢側からなら峠まで行ける」でした。 最後の最後に答えが出せてよかった。 すっかり真っ暗になった峠で動物の気配におびえながら写真を撮り、ティルに戻って、慎重に荒れた林道を下り、再び国道に出ます。 前には通勤帰りのくたびれた軽自動車がのろのろと、後ろは眩しいヘッドライトで車間をみっちり詰めてくるバカなアルファードに挟まれて辛抱強く耐え、 奥州市-一関市界の峠 (「寺峠」と仮称) で最後の休憩。 車が過ぎ去ればしばらくは漆黒の闇に包まれる国道の峠に、おおっ、蛍が飛んでいる! 2017-07-28 Day 7 発時 10885km 着時 11118km 走行 233km 2017-07-28 #01 土室峠 [初] 2017-07-28 #02 小友峠 [初] 2017-07-28 #03 土越峠 [初] 2017-07-28 #04 糠森峠 [初] 2017-07-28 #05 氷口峠 到達できず 2017-07-28 #06 樺峠 [初] 2017-07-28 #07 下峠 [初] 2017-07-28 #08 鹿喰峠 近傍 [初] 2017-07-28 #09 五輪峠 [再] 2017-07-28 #10 荷沢峠 [初] 2017-07-28 #11 姥石峠 [再] 2017-07-28 #12 種石トンネル [初] 2017-07-28 #13 越路峠 [再] 2017-07-28 #14 阿原峠 [初] 2017-07-28 #15 田原峠 [再] 2017-07-28 #16 中屋敷峠 [再] 2017-07-28 #17 鳶が森峠 [初] 2017-07-28 #18 寺峠 [初] |
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Day 8.
朝からフルレイン、でも今日は高速道路でまっすぐ帰るだけ。
岩手ツアーなのにとくに岩手らしいものを食べていなかったので、
ホテルの目の前にある冷麺屋さんの開店を待って。
でも10時になってもお店は開かず、
残念だけど諦めよう。
雨の高速道路を巡航し、
国見SAで国見峠の写真を撮って - スポットでどこが国見峠なのかわかっていませんけれど -
昼食いただいて、デザートに峠のクリームあんみつをいただいて、
岩手ツアー2017は終了。
2017-07-29 Day 8 発時 11118km 着時 11570km 走行 452km 2017-07-29 #01 国見峠 [再] 東北自動車道国見SA 8日間のツアーでしたが、まる1日の休暇を入れたりテレコンしたりのんびり過ごしたので全行程は2000kmどまり。 まあこんなものでしょう。 合計81峠、うち69峠が新規到達。結構な成果だったとしておきましょう。 丸森峠に立ち寄りそびれたのは、NV-U37へのマーク転送漏れ。 前日の夜にNoobow7300AのSuper Mapple Digitalと見比べてルート検討すべきなのですが、めんどくさくなっちゃうときもあってね。 丸森峠と笛吹峠はふたたび遠野を訪れるためのもっともらしい理由として取っておきます。 全行程 発時 9503km 着時 11570km 走行 2067km 今回の装備系のトラブルはSimpsonブーツ。 2015年8月から使っていて、今回はよく持った方だと思います。 出発前の段階でかかとは減って穴が開き、防水能力は失っていました。 同じモデルの新品は買ってあるのですが、このブーツは今回のツアーで完全に履きつぶそうと思っていました。 それは事実なのですが…まさか初日にかかとがぱっくり開いちゃうだなんてね。 この理由は、ツアーバッグを装着した状態では右足をシート上から抜くようにしてマシンから降りるのですが、 疲れてきたり足場が悪かったりすると足が高く上がらずにシートでかかと部のソールをはがす方向に引っかかってしまうためなのです。 まあほとんど支障なく使えて、最終日の国見SAでなお一層剥がれてペタペタ言うようになっちゃって。 でも全行程を耐えて、予告通り履きつぶせたので結果どうにかオッケー! |
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ポゴがティルでどこか行きたいというので、涼しくなって天気もいいし、近場にお出かけ。
ごく普通に内久保経由で小峠を登り、赤久縄で新鮮な焼き魚で昼食。 食事ののち、もう少し回っていきたいというポゴのリクエスト。 さてどうしよう、名無村経由で上日野に降りるか、塩沢峠から万場に降りるか、投石峠あるいは仏南沢峠から妹ヶ谷経由で回るか。 なんにしても一般車やグループツーリングのバイクの後ろについてノロノロ走るのは避けたいなあ。 そうだ、久しぶりに御荷鉾スーパー林道の赤久縄山区間経由にしよう。 ならば、課題として取ってあった杖植峠の旧峠に行けるぞ。 「ダートに入るけど、いいか?」 と聞くと、「いいよ」と即答。では。 ホーロク峠 の手前のY字分岐を鋭角右ターンすると、道はすぐにフラットなバラスト砂利になりました。 実はこの区間に来るのは、本当に久しぶりです。 XT400・RH250の1980年代はもちろん、1999年以降はスターワゴンで深夜にしょっちゅう走っていたのですが、 いまだにこの区間のGPSトラックがないところを見ると、最後に走ったのはいのぶ〜を買った直後、ザラメ雪で撤退したときで、 それ以降は皆無だったようです。 その気になればいますぐにでも行けるところだから、と思い続けてはや何年、だったわけですね。 みかぼ自然公園管理事務所のトイレにポゴを寄らせて、再スタート。 赤久縄山北面の道は荒れておらず快適。 タンデムですから無理はしませんが、パセンジャーの存在はほとんど意識する必要がなく、 さすがこれはビッグアドベンチャーツアラーならでは。 NV-U37が杖植峠到着を示した場所からは、南に作業道が伸びて、赤久縄と日向山を結ぶ稜線を超えています。 ここはティルで入るにはためらう状況だったのでマシンを止め、 私はNV-U37で、ポゴはスピーカ内蔵のウォークマンFでそれぞれ好きな音楽を鳴らし山道を歩き始めます。 しかしその道は古来の杖植峠を示す場所からはむしろ遠ざかってしまいました。 ちょっと違うみたいだな、戻ろう。 師匠は「車道近傍点からほんのちょっと歩いて登ったところにある」と言っていたから、その言葉からして、 またむかし徒歩道があったとすればどこを通っていただろうかと推測し、む、たぶんあのあたりのはずだ。 「ポゴ、ちょっとそこで待ってろ、多分すぐそこだから行ってくる」。 作業道から山に入り、伸びたやぶ草をかき分けると、あ、あった。 それはお地蔵様でも馬頭観音でも古い道標でもなく、木に打ち付けられた古いブリキのプレート。 これだ… いつか必ず見にいくぞと思ったのはいつのことだったのか… ようやく来れた。 「おとうさん、どう? 何かあった?」 「あったあった、古い標識。 これが見たかったんだ」 「写真撮って、見せてね」 「おう、今から撮るよ」 元禄国絵図にも描き表されている深い山の中のこの古い峠は、当時はおそらく6方向からの道が交わる、重要なウェイポイントでした。 日野と万場が領地争いをしたときに標識として杖が立てられ、それが名の由来と言われています。 自ら歩き、名著「群馬の峠」を著した岩佐徹道さんは、合計150の群馬の峠のなかで、 最後の峠としてこの杖植峠を選びました。 いま峠に残っているのは、1971年に岩佐さんがこの峠に到達したときの記念として取り付けたもの。 当時はほかのワンダーフォーゲルチームの到達標識とともに杭に取り付けてあったようですが、 いまでは岩佐さんの標識だけが峠の大木に取り付けられて残っています。 考えるとこの岩佐さんの標識は、1971年に取り付けられたものだから、もう46年も前のものです。 御荷鉾スーパー林道の杖植峠区間は、1980年には未開通でした。 今なら林道からほんの1〜2分で峠の標識に会えるわけだけど、1971年、岩佐さんは古来の峠路を歩いていたわけです。 「群馬の峠」の最終章に、岩佐さんは4時間かけて杖植峠に着いたとあります。 1980年代に全線開通した御荷鉾スーパー林道は峰つなぎの道なので、 杖植峠いまやぜんぜん峠なんかじゃありません。 地形的に特徴がある地点でもないので、 休日には何台ものオフロードバイクが通るけれども、だれ一人止まらず、ただ通過するだけ。 標識もないんだから、まあしかたありません。 でもせめて、由来を付記した小さな標識でも立ててあげたいところです。 林道ライダーにさえ立ち寄ってもらえない忘れられた峠は寂しいばかり。 杖植峠から日向山の北斜面を西進する区間は、雨水による溝掘れがかなりひどくなって、 普通車では走れないほどに荒れており、一部道幅も細くなっています。 が、もちろんオフロードバイクなら全く問題なし。 ポゴを後ろに乗せていることもあってティルではさすがにトレール車のように気軽に進むわけにはいかず、 深い雨溝を避ける走行ラインを慎重に左右にとって進みます。 が、タンデム状態であるにもかかわらず操縦性は良好なままで、 ここは大型アルペンツアラーの美点です。 今回は八倉峠の手前から青倉に降りるルートを。 「ふーう、やっぱりダートは疲れるよおとうさん、舗装になってよかったね」 「でもここは交通量がなくて路面が一面にコケ蒸してるところがあるだろ? ダートなんかよかずっと滑りやすくて危険だからゆっくり行くぞ」 どこかカフェで冷たいものでも飲みたいねと話をしながら一般道を進みますが、このあたりは道沿いにそんな気の利いたお店なんかないのは二人とも承知。 さりとて下仁田の街中に入って茶々に寄るのも面倒になり、 惰性で三本杉峠を超え、もういいや、帰ろう。 でもやはり冷たいものが飲みたくなって、額部のいつものコンビニで一息。 ああ、パナップグレープがおいしい。 2017-09-02 赤久縄・みかぼスーパー林道 親子ミニツアー #1 小峠 [再] #2 杖植峠 [再] [旧峠地点に初到達] #3 三本杉峠 [再] |
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10月後半に腰痛が再発。
いわゆるギックリ腰の症状ではなく、脇腹の筋肉…腸腰筋…が起床時に痙攣し、激しい痛みを数分間こらえ、
痛みが治まって起き上がろうとしても再び痙攣しそうになり無理、ほとんど動けない状態に…といった様子。
WhatsAppでマネージャ連に一日休暇をとる旨を伝え、第3研究所で静養しました。
椅子に座っている限りは大丈夫なのですが、横になって休んでいるうちに寝てしまい、起きるときに再び激しく痙攣。
うわあ、これはきつい。 週末に中央研究所に戻るのは無理かと思ったのですが、 土曜日の夕方には歩くのは無理でもいったんまたがってしまえばオートバイの運転はできそう。 第3研究所から中央県所までは、最小で左足を5回着くだけで行けます。 首都高の渋滞が解消するのを待って出発。 実際には護国寺の先で工事渋滞、なんべんも左足を着くことになってしまいましたが、 痙攣は出ずに到着できました。 ふう。 左腸腰筋の痙攣は、目覚める瞬間に無意識につよく伸びをしていて、その動きがきっかけとなって起きていることが分かりました。 ので、目覚める瞬間に自然に伸びをしようとしている体に「ちょっと待ったああっ!」とやったら痙攣の発生は回避することができました。 日曜日は大痙攣は起こさずに済み、静かに静養。 月曜日も休暇を取り、病院へ。 X線写真を撮って驚いたことに、腰椎が見事にS字に湾曲しています。 もう数年来、腰と腰の筋肉が左右アンバランスになっていることには気がついていましたが、 これほどととは。 左腸腰筋の大痙攣も、結局は神経の圧迫によって起きていたもののようです。 この腰痛騒ぎで、10月にとろうと思っていた2日分の休暇は病欠に使う羽目になってしまいました。 し、紅葉のベストシーズンの山岳ツアーを楽しむこともできず、今年の秋は終わり。 11月も半ばになってどうにか腰が以前と同程度まで回復したので、11月ぶんの有給休暇はすこしお楽しみに使おう。 でも新潟・長野方面は先週降雪したので、もう標高の高い峠越えは無理。 しかも前日夜は遅くまで仕事が立て込んで、前夜発もできないし、 土曜日は朝から要件あり。 いっぽう、めざちゃんは今週月曜日からお寿司が食べたいと言っていて、だけれど毎晩遅くまで仕事が続いてお寿司を買って帰れなかったので、 じゃあどこか海沿いに行ってお魚を食べよう、ということに。 うつの初期症状からの早期回復のためにお魚を食べに行ったあのとき と同じように、東京湾フェリーで千葉に行こう。 普段はなかなか立ち寄れないラフ&ロード店舗でグリップヒータを買いました。 先週からぐっと冷え込んだので、ティルにはティーディから受け継いだラフ&ロードのハンドルカバーを装着しました。 これがあれば気温が5℃以上から全く平気、0℃までは耐えられます。 でももうすぐディープ・ウインター。 休暇を取らない限り行けないラフ&ロード店舗に立ち寄り、グリップヒータを買いました。 日曜日にでも取り付けよう。 買い物の後、東京湾フェリーターミナルのある久里浜に向かいます。 首都高K号線に乗る前に給油し、 今回は全線100km/h未満の走行にしてティルの燃費の伸びも見てみるという研究も入れましょう。 あらかじめ時刻表を見ることもなくフェリーターミナルに着いたら、 前回とは違って今回は出航まで1時間30分待ち。 ターミナルで軽食を採ってのんびり待ちます。 ほかに2台1組のライダーさんがいただけで車両数も少なく、もう寒い時期なこともあって最上階デッキはガラガラ。 白い波頭が出ている東京湾を横断するフェリーはそれなりに揺れて、 それでも空はすっきりと晴れ渡り、 浦賀水道を行きかう船舶と、羽田に降りようとする航空機の脚出しを眺めながら、短い船旅を楽しみます。 空いている平日の東京湾フェリー、いいよなあ。 なんか今日はこれを楽しみに来たようなものだねぇ。 フェリーからロールオフしたときはすでに夕暮れの光。 すぐさま本日のネタ、鳥居岬に。 山岳地の地形で「岬」とは珍しいですね。 ここは「峠」には含んでいないリストや文献が大半な一方で、峠と同一にカウントしているものもあり、 私の峠データベースの中でも。 なので、まあ一応立ち寄って写真でも撮って、到達ということに。 ここはマザー牧場の経路上にあります。 マザー牧場は小学校だかのときの遠足で来ているはずなので、ひょっとしたらバスの乗客としては到達済みなのかもしれませんけどね。 でも関越自動車道もなかったあの頃、群馬から鹿野山までバスはずいぶんな時間がかかったはずですけれども、 ちっとも記憶がありません。 いずれにせよこれで、鳥居岬を含めて5つの千葉の峠は到達済み。 私のデータベース上で、都道府県で初の、100%到達達成です。 もっとも木の根峠は富津館山線の車道峠に行っただけで旧道・本来の木の根峠には行っていません。 ここは千葉に行く理由を残すため、とか、わけのわからない理由で。 さて困った。 本日はこの先、どこも行くところを考えていません。 めざちゃんの、おいしいおさかなが食べたいというリクエストのみ。 まあ、あまり南下はせず、とりあえず太平洋岸の道を走れば、 おいしい海鮮をいただけるお店があるでしょう。 久しぶりにNV-U37を単純な電子マップとして使い、気の向くままにうろうろしながら太平洋を目指します。 すっかり日が暮れて、長生村で海岸線沿いの道に出て、 ここからいいお店はないかなと見ながら北上。 最終的に九十九里の九十九里倉庫で、お刺身定食+はまぐり汁+追加でホタテ刺し。 たらふく楽しく食べて、ミッションアコンプリッシュド。 さてあとは帰るだけなのですが、あわてるわけでなし、 ティルの一般路燃費を見るために高速には上がらず、 成田を抜けて稲敷から圏央道へ。 一車線の圏央道で70km/hで走るトラックの後ろについていると、ティルの瞬間燃費計は30km/Lを示し、 平均燃費計は24.0km/L越え。 航続距離は480kmにも達する見込みです。いいね。 このまま北関東道経由で帰るつもりだったのですが、 退屈を紛らすための 「群馬に帰る45の方法」 のネタにしようと思い、 東北道の利根川橋で群馬入りした後館林で降り、 一般道で富岡へ。 到着時は給油後のトリップメータが400km越え。 行動13時間、総走行420kmの遠回り帰宅通勤ツアー終了。 プラス、オドメータは1万7000kmを超え、車両購入時のほぼ倍、 私がめでたくこのV-Strom 1000 ABSのドミナントライダーになりました。 あ、ごめん、今回はお土産はナシね。 2017-11-24 おさかなたべたいです帰宅通勤ツアー |
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ティルの軽洗車とチェーンメンテしてて・・・あれえ、フロントWSSのワイヤーハーネスクランプの取付ボルトが脱落してる。
汚れ具合からして昨日のオフロード走行中に外れたものではなさそう。いつからだろう。 手持ちステンレスM3ボルトで固定して修理完了。 2018-05-27 フロント車輪速センサワイヤーハーネスクランプボルト脱落 修理 |
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今回目指すのは長野県上高井郡高山村から上信スカイラインで老ノ倉峠を越え、
そのすぐ先で上信国境稜線を越えて吾妻郡嬬恋村に入るルート。 2018-08-04 毛無峠 |
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2019-10-05 吉井 ジャムカフェ 2019-10-05 オイル交換 51357km 2019-11-09 内山 佐久 御代田 カフェツアー 2019-11-24 チェーン清掃給脂 ETC OBEカード接点エレクトロニッククリーナー洗浄 53583km |
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年が明けてティルのスタータ修理が完了しました。
取り外したモータは、ショップのメカニックさん曰く、
「シャフトが軽く回りますね。ブラシがこするから普通はちょっと重くて荒い感覚なんですけどね。
きっとブラシが当たってませんよこれ。」 2020-01-10 スタータモータ交換修理出庫 |
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新品スタータモータ、新品バッテリ、新品タイヤ、
新品フロントブレーキパッドそれにエンジンオイルもフレッシュになったティルで快調快適に中央研究所に戻り、
翌日、ダメになったモータをいじり始めます。 手始めに直流抵抗値をテスタで測ってみると、 シャフト回転角度に応じて抵抗値は10Ω〜500Ωを示します。 これじゃあモータを回せるほどの電流が流れるわけはないね。 安定化電源装置をつないでモータを回してみると、 モータ電流が5A程ではモータは回り始めません。 10A前後でどうにか回り始める具合。 バッテリをつないで回してみると、モータは弱々しく回り始めましたが、 次第に元気がなくなって、まったく動かなくなってしまいました。 バッテリを外して直流抵抗を測ってみると、10kΩにもなっています。 うわ、完全に導通を失っている。 |
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モータ本体を分解してみると、
ブラシの状態は予想以上にひどいものでした。
ブラシホルダにはプラス用2つとマイナス用2つの合計4個のブラシが取り付けられています。
サビと、カーボン粉の汚れもさることながら、
ブラシはどれも全く動きません。
これ以上は出てこれないほど、限界を越えて摩耗したんですね。
ブラシの当たり面を見ると、4つのブラシの中の1つはもう最近はまったく擦られた形跡がありません。
このスタータモータでは2つのコイルが回転力を生み出しているわけですが、
しばらく前からコイルの1つは機能していなかったみたいです。 |
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サービスマニュアルの記述によれば、ブラシ長さが6.5mmまで短くなったらブラシホルダごと交換しろ、とあります。
ブラシの長さを測ってみたら・・・あれえ?
6.5mmってうそでしょ、まだ10mm以上あるよ? 実物をよく見ると、ブラシはクロックスプリングの力で内側に、 つまりコンミュテータ側に押し出されて接触する仕組みになっています。 しかしどうやら、その動きがなく、4つともすっかり固着している様子です。 このサビの具合では、まあ不思議ではないなあ。 |
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クリーニングと潤滑スプレーをブラシ装着部に噴射して指でぐいぐい動かしていたら、そのうちブラシは動き出し、
スプリングの力で内側に出るようになりました。
作業を繰り返し、4つのブラシそれぞれが動くようになりました。 ブラシホルダ全体を軽く洗浄し、ブラシホルダハウジングの内部もエタノールで洗浄してモータを組み立て、 ターミナル - ハウジング間の直流抵抗値を測ってみると、0.1Ω以下。 そうですよね、そうでなきゃ100A近い大電流は流れませんもんね。 |
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バッテリをつないでみると、モータはウイーンと回り始めました。
おお、直った!! 中央研究所の設備・機材と時間があれば、これはモータ本体交換しなくても修理できたのかもしれません。 2020-01-11 スタータモータ動作不良原因確定 - ブラシホルダ固着 - 清掃潤滑により復調 |
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さて、スタータモータ故障の原因が分かって、モータは新品が取りついたわけですが、
この新品モータもこの先5万kmあるいは4年程度で同じようにブラシ固着に陥ってしまうのかもしれません。
ブラシ固着はサビによるものでしたから、
ということはモータハウジングの防水が不完全だということなのでしょうか。
新品モータが取りついてまだ一度も雨天走行はしていない今のうちに、
ブラシホルダハウジングとマグネットスリーブの合わせ面部に、
車両前方だけですが、アルミテープを貼りつけてみました。
効果のほどは定かではありませんが。 |
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トラブルシュートしていた時は最初はリコール歴のあるスタータモータグラウンドケーブルを疑ったわけですが、
その調査の時にクラッチレリーズシリンダとスプロケットカバーを取り外しました。
それで気がついたのが・・・ドライブスプロケット周りのおびただしいグリス汚れ。
チェーンから飛散したグリスが細かな土埃を巻き込んでスラッジとなり大量に堆積していました。
トラブルシュート中に大方のスラッジは除去したのですが、
本日再度クラッチレリーズシリンダとスプロケットカバーを外し、
スラッジ掻き出し+パーツクリーナとシンプルグリーン原液で清掃。
1時間以上もかかってしまった割にはさほどに綺麗にはならず、
それでもまあ、完全放置よりはずっと精神的にスッキリしました。 前オーナーの転倒歴以外はほとんど新車のコンディションでやってきたティルで、 長距離ツアーは数えるほどしか出かけませんでしたが、 2年半毎週の全天候夜間長距離高速通勤で車両総走行距離は5万5000km。 当然これはもはや新車のコンディションであるはずがなく、 消耗部品だけ交換していればいい期間は過ぎ去ってしまっています。 時間の空きを見つけ、予防保全としての各部の清掃点検を行っていくべきでしょう。 計画退役までこの先3年4ヶ月、6万7000km。 まだまだ頑張ってもらいますよ。 |
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もうね、重い腰が上がらなかったんですよ。
エアクリーナのエレメント交換。
ハスラー50
ならプラスドライバー1本でサイドカバーとエアクリーナーボックスリッドを外すだけでエレメントが取り外せましたが、
今のバイクはね、ほんとにね。 燃料タンクから燃料を抜き、 シートを外し、 サイドカウリングカバーを外し、 フューエルタンクセンターカバーを外し、 フューエルタンクサイドカバーを外し、 フレームカバースクリュを外し、 フューエルタンクを外し、 エアクリーナカバーを外し、 エアクリーナエレメン文字数。 |
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エレメントはけっこう汚れていましたが、枯れ葉や虫などの異物吸い込みはほとんどありませんでした。
この程度なら交換した後にエンジンフィールが変わるほどのものでもありません。
でも精神的にはね、すっきりしましたね。 2020-05-01 エアクリーナエレメント交換 58,880km |
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2020-12-05 オイル交換 64,517km |
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2020-12-10 時坂峠 |
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車検のときに依頼したフロントブレーキパッド新品交換、部品がすぐに入らず、
後日に・・・となったのですが、
その後しばらく第3研究所に行く必要がなく、3ヶ月経ってようやく作業依頼。
ショップに行ってこんにちはとあいさつしたとき、
生の人間と会話したのは68時間ぶりだということに気づきました。
いつまでつづくんかねコロナ禍。 交換したブレーキパッドは最初から普通にいい感じで食いついてくれています。 慣らしは不要。 2021-09-03 フロントブレーキパッド交換 68000km |
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2021-10-10 ツアー |
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ウインカースイッチ動作不良が再発しました。
再度スイッチ内部を分解清掃して回復しましたが、
次回はスイッチボックスごと新品交換した方がいいのかもしれません。 2022-02-12 ターンシグナルスイッチ動作不良再発 2022-02-19 ターンシグナルスイッチ修理 2回目 69750km |
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先日ウインカースイッチを修理したときに失敗してホーンスイッチが働かなくなってしまいました。
滅多に使わないものですが、何回かは鳴らしたいときに鳴らならなかったこともありましたね。
スイッチボックスを分解・再組立てして復活。 2022-08-07 ホーンスイッチ修理 |
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車検整備は左右サイドパニアを外した状態で入庫。
今回は80,000km到達なのでドライブチェーンと前後スプロケット、
リアスプロケットダンパーラバー交換。
新しいチェーンはほんと滑らかでうれしいね! 2023-06-16 車検出庫 |
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万世大路での転倒では、ケース側で右サイドパニアを吊り下げるフック部2箇所のうち前側が破損しました。
しかし破損したのは二重構造になっている外皮で、ほとんどの強度を有する内側構造は問題がありません。
そこで耐衝撃性をもつエポキシ充填接着剤を使用し、修理しました。
はみ出した接着剤は乳白色でちょっとみっともないですが、
だいじょうぶ、そんなところ誰も見やしないよ。 大きく変形した固定具はアルミブラケットを曲げなおし、 今度は100円ライターの代わりに木の板を使って修復。 2024-07-23 右サイドパニア固定修理 2回目 |
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ポゴがヘルメットを買うのに付き合って用品ショップに行ったので、
ついでにティルのバッテリを買いました。
始動性能に問題はなかったのですが、
IG ON時のインパネの電圧表示が11.8Vを示すようになったし、
前回の交換から4年が経過しているので。 交換作業に何らの問題もなし・・・ あれえ? 車載工具を留めているラバーバンドが切れてらあ。 2024-03-23 バッテリRTX14-N 20900円 |
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吸気圧センサを取り外して、
サービスマニュアルに記載のある手順で単体テストを行ってみました。 センサはアナログ電圧出力タイプで、 ECUからDC5Vが供給され、 圧力に応じてアナログ出力電圧が変化します。 サービスマニュアルでは、安定化電源装置を持っていないショップのために、 乾電池を3本使って、 本来は5.0Vのセンサ電源電圧であるべきところを約4.5Vでテストできる方法が示されています。 センサ電源、センサ出力そしてコモン端子と合わせてコネクタは3ピン。 コネクタピンに直刺しできるヘッダーピンつきワイヤを3本用意して、 安定化電源装置 でつくったDC5.0Vを供給し、 出力電圧を アナログテスタ で測定します。 圧力を変えられるよう、注射器も用意しました。 |
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ところが・・・ 結果がヘン。
フロントシリンダ用とリアシリンダ用のセンサのどちらも、
出力電圧はDC約1.6V。
しかも圧力に全く反応しません。
想定外の結果です。
ピンの順番が違っているのではないかとなんべんも図を見て確認しましたが、
どこもおかしくありません。 うーむ、奇妙だな。 最初からセンサ出力がおかしいのならエンジンを始動してすぐにエラーが出るはずだし、 圧力に反応していないのだからアクセル操作に応じてエラーが出るということも無いでしょうに。 センサが全く負圧に反応しないのならアクセル開度大で故障確定したのはどういうことなのでしょう? それに、2個のセンサが同時に壊れるとは思えません。 すくなくとも2個のセンサで挙動は違うはずだと推測していましたから。 実車でのエラー発生状況とセンサ単体テストの結果はアンマッチであり、 結果に納得がいきません。 いっぽうでサービスマニュアルのセンサ単体テスト手順で異常値を示しているので、 まずは交換用の吸気圧センサを2個、ショップに注文しましょう。 2014-08-01 吸気圧センサ単体テスト 結果に納得できない 第3研究所行き走行、大加速は行わず、FI警告灯は点灯せず。 大加速しないと発生しない、 のはありえそうです。 2027-09-02 第3研究所行き: FI警告灯点灯せず ショップで入手した新品吸気圧センサを持って中央研究所行き帰投走行。 途中FI警告灯点灯3回。 1回は4速中加速、2回目は普通の一般道走行中、3回目は新座料金所進入の減速開始時。 走行中にエンジン再始動する手順も慣れてきました。 2024-09-03 中央研究所行き: FI警告灯3回点灯 |
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Battery
10h rated capacity 12Ah Tires
Rear: 150/70R 17 M/C 69V |