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Fu-nyudo Toge Pass and Hohroku Toge Pass

不入戸峠とホーロク峠


不入戸峠

    小峠と塩沢峠とをつなぐルートは古来信州と武州をつなぐ長距離交通路の一部であり、 馬に荷を着けた馬方が往来した (藤岡市史) とのことなのですが、 自動車交通時代になるとこのルートは忘れられ、長いこと車道にはなりませんでした。 ハスラー50 のころは、小峠から塩沢峠へ抜ける車道はなかったのです。

    米国駐在から帰国して甘楽富岡を走るようになった1999年、 このルートに車道ができていることに気づきました。 おお、いにしえの大峠みちが今に甦ったのか! それはデリカスターワゴンのラフロード走行性能を楽しむのにうってつけな、走りごたえのある悪路でした。 会社帰りの深夜の寄り道に、幾度となくアドベンチャームードあふれるこのルートを走った記憶があります。

    この道は富岡万場線未開通区間開削工事用のパイロットロードだったのでしょう、 行くたびにこの道は大規模な開削工事がすすみ、2002年にはきれいに舗装された2車線の、見まがえるばかりの立派な山岳ハイウェイになりました。 地図にもなく、会場側も万場側も入り口は一部砂利道のひきつづき狭い道だったのでほとんど人に知られることがなく、 よって交通量も極少で、昼夜いつ走ってもすばらしい山岳道路を独り占めした気分になれたものでした。 南側は標高1200mを越えるこの道路は冬場はたいてい雪に覆われ、スノーランを楽しめる道路でもありました。

    赤久縄山と西御荷鉾山の間を越える塩沢峠は、その昔大峠と呼ばれていました。 その昔、甘楽秋畑を出て小峠に登り、会場で一休みした後に大峠を越え、そこから山中領万場に降りるのは、 すくなくとも半日を要したのだろうと思います。 長い山道は主要な街道筋に比べれば整備も進んではおらず、 よって懐具合に余裕のある人は、初めてここを通ろうとする時は道案内人を雇ったのかもしれません。 その昔小十郎という人が客を案内して大峠に連れていくときに、その手前の峠でここが大峠だとごまかした、 という言い伝えが藤岡市史に記載されています。

    その峠は不入戸峠(ふにゅうどうとうげ)と呼ばれ、またその小十郎の話から小十郎峠とも呼ばれるようになった、 と藤岡市史にあります。 では、さて、その不入戸峠とは正確にはどこなのでしょうか。 藤岡市史の記載だけでは、ピンポイントでここだというには曖昧すぎます。

    明治40年の5万図には会場と塩沢峠を結ぶ小道が記載されています。 このルートを現代の電子地図に書き込んで検討してみます。 日野の会場から出発して、大峠 (塩沢峠) に向かい、 大峠の手前で、しかしここが大峠だと嘘をつけるほどに峠の形態を有している地点をさがすと、右図に示した地点が一番条件に適います。 そこは御荷鉾山系の稜線上ではなく、すこし北に張り出したセンダカヤマ…三等三角点「千楕萱」から東に延びる稜線の肩を越える地点です。 距離的には、小峠と大峠との中間あたりになります。

    その地点のすぐ西側には、現在の富岡神流線が走っています。 車道脇に車を停め、道路からちょっと降りて行けば峠にたどり着けるのではないかな。 そう思ってからも5年ちかく経ってしまいましたが、 信じられないほどに雪の少ない2016年01月・・・まだこの一帯には雪がまったくない・・・、 近場の散歩のつもりで いのぶ〜 で現地に行ってみました。

    目標地点近くでも県道は同じ調子の上り坂になっています。 あらかじめそう教わらない限り、ここが昔は峠だったなどとは気がつくはずはないでしょう。 路肩がちょっと広くなっているところにいのぶ〜を止め、 道路ぞいの何か所かで地形図と実地形を見比べ、 目標地点と、そこまでのアプローチを検討します。 もっとも比高マイナス20mほど、水平距離わずか80mほどですので、どこからどう行ってもたどり着けますけれど。

    入りやすいところで峠の南側からアプローチしました。 NV-U37の地形図にも旧道は示されています。 道路から斜面に降り、旧道まで来ましたが、踏み跡はかすかです。 まあそれはそうでしょう。 NV-U37の地形図の旧道に沿って峠に登りましたが、道はなく、ただ植林された林の中を抜けていくという感じ。 それでも南側斜面はあきらかな登りです。

    峠には石造物も標識もまったくありませんでした。 もともと小峠と大峠の中間地点でしかなく、峠としてはさして意識されていなかったところだったのでしょうから、 不思議はありません。 ここは実は不入戸峠ではないという可能性ももちろん残っていますし。

    峠の北側は下りで、こちらは林の中に道がうっすらと見えますし、 そこにそう道ができるのが自然、といった地形です。 こちらは間違いなく旧道です。 あのあたりからお客を連れた小十郎が登ってきて、お客さんもうすぐ大峠ですよ、ほらすぐそこだ、 などと言ったりしたのでしょうか。

    今は林の中だから峠からの見晴らしは良くありませんが、 もともと右手には高い山が迫っているし、 木がなかったとしても峠の先で視界がぱあっと広がるといったものでもないから、 お客もいぶかしく思ったことでしょう。 でも峠の先はたしかに下り坂になっているから、 この男が言うようにここが大峠なのだろう。 客から駄賃を受け取って、 「ではお客さん、この先もお気をつけて」 などといいながら、来た方向に足早に戻っていく小十郎の、 にやつく顔が想像できたりもしました。

2016-01-16 不入戸峠 [初]

Newly developed mountain highway is covered with snow in winter


Searching the Fu-nyudo Toge Pass


Nearest point to the Fu-nyudo Toge


View at Fu-nyudo Toge


Ancient road down from the pass to Kaisyo

ホーロク峠

    平成になって開削された富岡万場線、現 富岡神流線は、南に向かって標高を上げてゆき、最高地点で御荷鉾スーパー林道と合流します。 このY字分岐交差点をホーロク峠と称しているウェブ記事がいくつか見られます。 しかしここはホーロク峠ではありません。

    ホーロク峠は、塩沢峠とは異なるルートで会場と山中領を結ぶ道でした。 小峠から塩沢峠に登る途中、塩沢峠の手前で分岐して西に向きを変えてホーロク峠を越し、 栗木平の集落に降り、そこからさらに安取峠を越えて椹森を経由し、最終的には中里村に降りました。 広域的に見れば、塩沢峠は会場と万場をつなぐ道、ホーロク峠は会場と中里村をつなぐ道だったといえます。

    「ホーロク峠」の名の由来を記した書物にはめぐりあえていません。 富岡甘楽藤岡地域には秋畑と上日野を結ぶ炮烙峠があって、こちらは地図や多くの史誌に記載があり、手作りではありますが現地標識もあります。 そちらと混同しないためなのかどうか、こちらはいつもカタカナで「ホーロク峠」と書かれます。 西上州の書物で「ほうろく峠」と書かれている場合は、たいていの場合は秋畑の炮烙峠の意味ですが、でも要注意です。

    ともかくもこのホーロク峠の古道は使われなくなって久しく、昭和平成になって御荷鉾スーパー林道と富岡万場線と林道名無村線が開削され、 現代の地図ではどこが古来のホーロク峠であったのか釈然としません。 長いことホーロク峠の道は、現代の地図に書かれている標高1213mのピークを東西に横切る道だろうと思っていたのですが、 でもよく考えれば、稜線を越えて日野と山中領とをつなぐ交通路がわざわざピークを越えるのはなんとも腑に落ちません。 そこで明治40年の5万分の1地形図と現代の地図を比較対照してみました。

    すると結果右図のように、ホーロク峠は富岡万場線が稜線に到達している地点だったということがわかりました。 む、ならばホーロク峠は今までなんべんも通過していたことになる。

    不入戸峠を訪れた足でホーロク峠にも行ってみました。 富岡万場線が稜線を東側から西側に越えるその地点は、赤久縄林道入口とのT字路交差点になっていました。 ハイキングコースの案内看板がありますが、ホーロク峠の名を示す標識はありません。 クルマで富岡万場線を走っているとその地点は標高ピークではないから峠という感じはしませんから、 ここが昔の交通路が越えていた峠だったなどとは思われないでしょう。 稜線を乗り越す古道は跡形もありませんでした。 道路から東側斜面を覗きおろすとそこはかなりの急斜面で、 会場から登ってきてホーロク峠への登り最終アプローチはとてもきつかったはずだということが伺えます。

    これに対して富岡万場線と御荷鉾スーパー林道とのY字交差点は、 日野会場からずっと登ってきて標高ピークに達する地点でもありますから、 こちらはドライバーやライダーから峠と呼ばれるようになっても不思議ではないでしょう。 マウンテンサイクリストなら、長い坂を上り切った達成感に包まれながら腰を下ろして冷たい飲み物で一息いれるに違いありません。 そしていつのまにかそこをホーロク峠と呼ぶ人が現れて、 ブログに書かれ、ウェブ記事に転載され、じきに雑誌にも紹介され、地元の人々の間にも定着して、地方自治体の観光案内ページにも書かれ、 いつの間にか公式な地図にも紹介されるようになれば、 時代とともに峠が動いたということになります。

    そのような例は少なくはありません。 中津川林道が越える三国峠は、もう40年以上の昔から峠に「三国峠」の看板があり、地図にも「三国峠」と書かれていますが、 本物の三国峠はもっと北、標高1834mの三国山のすぐ近くにあります。 そう、信州・上州・武州の3つの國に接しているから三国峠だったのです。 いまの三国峠は、二国峠でしかありません。 古来の交通路を軸として峠を研究されている方々は、だから中津川林道の峠は三国峠とはみなさず、 新三国峠と仮称したり、あるいは「林道が越えているいわゆる三国峠」のような書き方をなさいます。

    いっぽうで、徒歩交通時代であっても、急斜面を這うように登っていた峠道に荷馬を通すため、ルートを変えて異なる地点で越えるようになった峠もあります。 峠は人々の営みの結果であり、よりよい交通の便を求めて道が変わり、峠がそれにつれて動くというのは峠の歴史のひとつなのでしょう。 だから荷車を通す道ができて峠が移り、自動車のための道ができて、 さらにはトンネルが…も時代の流れであり、峠の歴史であり、それに目を向けようとしないというのも変な話です。 ただ、その峠のいわれとか在りし日の姿とか移り変わりとかが、何らかの形で記録され語られ続ければいいのかな、と。

    ということで自分的には現在のところ「スーパー林道の入口を『ホーロク峠』と呼ぶ人もいるようだ」としておいて、 そちらは峠のリストには掲載しないでおきましょう。 そのうち時代が下って誰しもがそこをホーロク峠と呼ぶようになったら… 「新ホーロク峠」として到達峠カウント1アップです。

2016-01-16 ホーロク峠 [再]


Construction of automobile roads makes ancient Horoku toge hard to identify on a modern map, so an old map was studied.


Historic trail was completely vanished at Horoku Toge. An automobile road goes along the ridge instead, and a forest service road starts from the ancient pass.


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Feb. 17, 2016 Updated. [Noobow7300A @ L3]