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Narayama Toge Pass

奈良山峠


炮烙峠を参照。

    須田 茂さんの『群馬の峠』(みやま文庫179、ISBN番号なし)では、奈良山峠の記述はシンプル。

須田 茂 群馬の峠 (2005年)

奈良山峠

焙烙峠を参照。


おやまあ。

炮烙峠 を見ると、

須田 茂 群馬の峠 5B-(09) p037

焙烙峠 860m 藤岡市上日野の奈良山〜甘楽町秋畑・轟
        大峠・奈良山峠ともいう。ホウロクを伏せたような地形に見えるので焙烙峠の名が付けられたという。 小字名調書の秋畑村に「大久保(奈良山峠)」がある。 大久保は梅の木平の北東1.5kmほどにある小字地であり、峠までの道上に「弘法の井戸」という湧水があるという。 「甘楽町地名考」には、甘楽町轟の宝積寺の西谷から藤岡市の上日野の奈良山へ至る峠道があり、それを「奈良山峠、焙烙峠」というとあり、また、宝積寺から峠に至る途中に「七曲がり」の地名があるという(小字名調書では轟村に「七曲」がある)。 このように、峠から甘楽町側には秋畑と轟への二本の道筋があった。


    もちろん同一の峠が複数の名前を持っている場合は珍しくありませんし、 時代とともに呼び名が変る場合も少なくはありません。 でも奈良山峠の場合はちょっと違うような、そんな気がするのです。


炮烙峠


奈良山峠は炮烙峠とは同じ峠なのか

    たしかに、炮烙峠が取り上げられている書籍であっても奈良山峠には触れられていないケースが多いです。 藤岡市史、甘楽町誌のいずれもがそう。 奈良山峠は炮烙峠と同一の峠なのかな。

    「甘楽町之地名」に次の記載があります。

甘楽町之地名 甘楽町地名調査会 1999年 p014 小幡地区

七曲(ナナマガリ)
    水越の上方。曲がり道が七ケ所あると言う意味である。 この道は宝積寺西方の水越から日野(現藤岡市上日野『奈良山』)に通じる『奈良山峠、焙烙峠』に通じており、 昔はこの方面の人達が、小幡から富岡方面に出る時利用した峠である。 この峠近くに『弘法ノ井戸』と言う湧水地があり、 この峠を利用する人達はこの泉で喉を潤す休場であったと言う。


    須田さんの「群馬の峠」の記述は、これを基にしたものなのでしょう。 「甘楽町之地名」のフルバージョンである「甘楽町地名考」ではより詳しく、

甘楽町地名考 関口 進 2001年 p038 三、大字轟の地名と風土

七曲(ナナマガリ)
        水越の上方にこの地名がある。山を一気に登れないので道が曲がりくねっている。 曲道が七ヶ所あるという意味である。 この道は宝積寺西方の水越から日野(現藤岡市上日野「奈良山」)に通じる『奈良山峠、炮烙峠』に通じており、 昔はこの方面の人達が小幡から富岡方面に出る時利用した峠である。 この峠近くに『弘法の井戸』という湧水地があり、この峠を利用する人達はこの泉で喉を潤す休場であったと言う。
        戦国期上日野の豪族であった小柏氏の屋敷跡を見学に行った時、地元の古老の話によると、 この峠を越して富岡に買物に行く時は、暗いうちに起きて野良着で峠を越して轟まで行き、 ここで他所着に替えて富岡まで行ったと話してくれた。 昔からの有名な峠だが、残念ながら私は未だこの峠を越えていない。
    [交通地名]


とあります。 これらの記事では 『奈良山峠、焙烙峠』 という表現が使われていて、これは2つのそれぞれ独立した峠なのか、 あるいは1つの峠につけられた2つの名前なのかは読み取ることができません。

    さらに読み進めると、

甘楽町地名考 関口 進 2001年 p038 三、大字轟の地名と風土

轟 (トドロク)
        この地域を代表する地名。轟地域の中心地域で一三軒で集落が構成されている。 昔はここから奈良山峠に行く道 があり、秋畑に行く入口として交通の要地でもあった。
        この地名の由来は水流の擬音地名とされている。 ドド、ドロメキ、ドドメキ、トドロキ等がそれで、水流音の高い所に付けられた地名である。 この地の雄川沿いを歩いて見ると、まさしくこの由来に納得する場所である。 甘楽郡秋畑に『百瀬(モモゼ)』と言う地名があり、この地名も多分轟と同意であろう。
        『ドド』は『百百』の文字が宛てられ、『十×十=百』の意で地名の二字化により、 百百と書くようになったと言われている(『地名用語語源辞典』)。 地元では轟の地名に由来について、水車が多くあったことよりこの地名がついたと言っている。 多分轟の文字から推定してのことであろう。このように地名に纏わる伝説は各地にある。
    [擬音、水系地名]


甘楽町之地名 甘楽町地名調査会 1999年 p033 秋畑地区 其ノ一(裏根、枇杷ノ沢、戦場)の地名

奈良山峠 (ナラヤマトウゲ)
        大久保地域の公称地名。轟の宝積寺の西谷(水之越)から、ほぼ斜めに登っていく道が山頂に向かって伸びている。 かつて、この道は日野奈良山方面から甘楽郡方面に出る主要道の一つであった。


甘楽町地名考 関口 進 2001年 p098 秋畑 其ノ一(裏根、枇杷ノ沢、戦場)

奈良山峠 (ナラヤマトウゲ)
        大久保地域の公称地名。甘楽町轟の宝積寺の西谷(水之越)から、ほぼ斜めに登っていく道が山頂に向かって伸びている。 かつて、この道は日野奈良山方面から甘楽郡方面に出る主要道の一つであった。 航空写真でもこの道をはっきり写し出している。 奈良山に行く峠。 頂上近くに湧水地があって、この道を通る人たちはここで喉を潤したと言う。 この湧水地を『弘法の井戸』と呼んでいる。 奈良山はこの山の頂上を越えた現藤岡市日野にあり、この方面に行く峠としてこの地名がついた。群馬県では山間部小平地や緩傾斜を越す所を言う (『地名のはなし』那須の項参照)。 [交通地名]


甘楽町之地名 甘楽町地名調査会 1999年 p033 秋畑地区 其ノ四(滝ノ沢、北平、内久保、来波)の地名

焙烙峠 (ホウロクトウゲ)
        長開地域の公称地名。芳ノ元林道の終点。藤岡市上日野奈良山に通じる昔からの交通路であった。 ホウロクを伏せた形から呼ばれた地名。標高860米。


    奈良山峠は大久保の、炮烙峠は長開の地名だと書かれています。 これらからいえるのは、これら2つの峠はいずれも現藤岡市の上日野の奈良山集落に行く峠であるということ。 しかし両者が同一の峠であるという記述ではありません。


    明治40年の地形図を見てみると、甘楽町之地名に書かれていた記事に納得できました。 秋畑から日野奈良山に行く道すじは2本あるのです。 ひとつは秋畑村の中心部である梅の木平から南東に延びて峠を越え、上日野の奈良山集落に至ります。 もうひとつは、轟(とどろく)から南に延び、稜線を越えたのちに梅の木平ルートに合流し、奈良山に至ります。

    なるほど、ルートが大きく2つあったんだ。 峠の名とは山越えの鞍部にスポットでつけられるだけのものではなく、ルートにつけられる名前でもあるのです。 いや、行き交う人々にとってむしろ重要なのはどこからどこに行けるのかということであって、鞍部そのものなどはむしろ二の次だったはず。 日野の人々にとって、梅の木平ルートを行けば秋畑村で買い物ができ、さらに赤谷を経由して藤田峠を越えれば一の宮・貫前神社に行けました。 いっぽう 小幡のお屋敷に用事があるとき は轟ルートを通ったことでしょう。

    さらに五万図をよく見てみると、轟ルートが山の稜線を越える鞍部は炮烙峠とは異なることがわかりました。 炮烙峠の北北東すぐに896mのピークがあり、轟ルートはそのピークの北東にある鞍部を越えてから、 奈良山に下りるルートに合流しています。 となると、轟ルートが越えている896mピークの北東鞍部を奈良山峠と呼んでいいのではないかな。
    炮烙峠と奈良山峠は水平直線で440m離れています。 896mピークを挟んでいますし、じゅうぶんに別の峠だと主張できる空間分離です。 ふたつの峠は日野側のルートが共通だったので多くの場合はひとくくりにされることが多かったのでしょうけれど、 だからといって一つの峠ではなく、それぞれのアイデンティティを持っていたのだろうと思います。 ということで、現時点での結論は、

炮烙峠は、梅の木平と上日野奈良山をつなぐルートが稜線を越える鞍部。郡界線上にある。
奈良山峠は、轟と上日野奈良山をつなぐルートが稜線を越える鞍部。郡界線上にある。
炮烙峠ルートと奈良山峠ルートは稜線南側で合流し、上日野奈良山への区間は共通。

    轟から炮烙峠合流までの奈良山峠ルートは、 現代の地図には記載がありません。 地理院地図電子国土Webにも情報なし。 いっぽうこのルートは、明治40年の五万図に聯路として示されているほか、 昭和27年応急修正版の五万図にも幅員1m以上(2m未満)の町村道として記載があります。 昭和27年の時点で実際に交通の用に供されていたのかどうかはわかりませんが、 記載されている幅員としては炮烙峠ルートと同じ。

    ので、これを見ながら現代の電子地図・・・SuperMappleDigitalに追記してみようと思いましたが、 明治の五万図とSuperMappleDigitalではやはり等高線地形の細部がけっこう違っていて、簡単にはオーバーレイできません (航空写真も電子機器の助けもない明治時代のものだと考えるとその精度の高さには逆に感嘆してしまいますが)。 さらに調べてみると、平成になってから作成された甘楽町1万分の1地形図に奈良山峠ルートが記載されていました。 もちろんこれは今でもその道が道として残っているという保証にはなりませんが、 ともかくSuperMappleDigitalにいにしえの奈良山峠道を追記することができました。






甘楽野の景色を楽しむ

    古来の地図に描かれた峠部の拡大は右。 炮烙峠南東部の分岐点から奈良山峠までは経路長で450m。 分岐点には・・・そういえばロープが張られて一般車進入を禁止している林道入口があったはず。 そうか、あの林道は古来の奈良山峠道を拡幅したものなのかも。 もしそうでなかったとしても、あるいは林道が先で大崩落していたとしても、 炮烙峠から稜線をクロスカントリーして歩いていけば迷わずに奈良山峠にたどりつけるでしょう。 勾配は急ではなく、このあたりは間伐されて樹木密度は低く、 しかも木の葉は落ちて下草は枯れ、雪が融けた3月中旬の今は絶好のチャンスです。 よし、行ってみよう。

    ママもポゴも家で休みたいとのことで、今日はソロ。 杉の細かな落ち葉と浮き砂でのスリップダウンには注意しながらも、芳ノ元林道も八丁河原線区間も雪での落石や崩落はなく、 いのぶ〜 はスムースに炮烙峠南東部の分岐林道入口に到着。 NV-U37で座標を確認すると、古来の分岐点と位置度20m程度以内で同一地点です。

    奈良山峠に向かう林道は幅もあり路面状況は良さそうですが、入口にはやはりロープがかかっています。 歩いてもわずか500mだし、寒さを感じなくなった3月中旬。 いのぶ〜は道端に停めて、今日は低山のミニハイクです。 いちおう用心にカウベルをデイパックに取り付け、NV-U37をハイキングモードに切り替え、林道を歩き始めました。

    歩き始めてすぐ、 「平成5年 炮烙線 延長414m」と記載された看板 が倒れていました。 林道として開削されてすでに20年を経過していることになりますが、この林道は整備もきちんと入っていると見えて、道幅・路面・傾斜いずれも良好。 少なくともここ数日は1台も車は通っていなかったようで、 ダブルトラックの間は霜柱で大きく土が盛り上がり、砂利の踏面もブーツの底がふわっと沈み込むやわらかさ。 このセクションはおそらく過去1〜2年のうちに整備が入ったようで、きちんと手入れされています。 近年では経営難・従事者減で維持放棄された林がとても目立つようになっていますから、 きちんと管理された林は気持ちがいいです。

    896mピークを左手上方に見るころ、道は右手下方へ向かう幹線と、稜線に向かう左手に分かれます。 今回は目的が奈良山峠ですから左の分岐に入りますが、 この道はこの先で地図にも書かれている作業用林道に接続するのでしょう。 そうこうするうちにNV-U37は目的地到着を告げました。 峠は4叉。炮烙峠から来た道と、峠を越えて北西に降りていく道。 さらに稜線を北東に向かう峰道と、稜線から分かれて北東に下りていく道。 峠を越える道は徒歩道ですが、北東に向かう道はまだダブルトラックで続いています。

    古来の奈良山峠道が降りていったはずの北西斜面は間伐されていて木はまばら、しかも落葉樹で、今は葉っぱが全くありません。 標高約875mの奈良山峠からは甘楽野を遠くまで見渡せました。 昭和50年代には景色が楽しめた低山の峠も今ではすっかり木が成長しどの峠もたいていは見晴らしがきかなくなっていますので、 ひさしぶりに遠くを眺めます。 遮蔽物が少なくて突然クマに出くわす心配がないのもありがたいこと。 でも近くで時おりブルブルッと大きな音。 大型の鳥でもこずえに潜んでいるのかな。

    ずいぶん春の予感が濃くなってきましたが、歩くのをやめてしばらくすると寒くなってきました。 お弁当も飲み物も持ってこなかったので、景色にお別れしていのぶ〜に戻ります。 これでミニミニハイクは終わり。よし、帰りに今年度初の那須庵に行こう。

2015-03-15 奈良山峠 [初]










ま、間違いですよねこれは? ねっ?

    関口 進さんの「甘楽町地名考」を読み直していて、愕然としました。 秋畑地区の地名が記入されている地図ページ、 そこに記されている奈良山峠の位置は・・・ いままで考えてきた場所と全然違う!! 額に汗が一気に吹き出します。 ま、間違いですよねこれはっ?

    図示されているのは、炮烙峠と名無村峠とのほぼ中間点の稜線上。 そこは 四等三角点カラカラ山 の付近です。 古来からの道があった場所ではなく、小幡から稜線を越えて奈良山集落に行くルートにはどうみても不適切。 同書本文中の奈良山峠に関する記述がまったく当てはまらなくなります。

    もし間違えて記載したのだとしたら、黒仁田峠の位置に奈良山峠と誤って記入してしまったのでしょう。 はたして関口さんの原稿からしてそうなっていたのか、それとも出版植字の際のミスか。 もし関口さんにお会いすることができたならば即座に回答を頂けたのでしょうが、 関口さんは甘楽町の地名研究の成果を出版することを目標としていたものの病に倒れてその夢を果たせず、 本書はその後関口夫人によって出版されたもの。 私はこれは誤植だろうという強い確信をもっていますが、 しかしその最終確認を行う研究の再開は、どうやら神様のお声がかかるまではお預けのようです。






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Mar. 15, 2015 Page Created.
May. 07, 2015 Updated. Added notes regarding the kanji representation of Horoku toge.
Sep. 20, 2015 Updated. Folder restructured. [Noobow7300 @ Ditzingen]
Feb. 20, 2016 Updated. [Noobow9100D @ L1]
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