国土地理院の5万分の1地形図の中でもっとも多くの数を含むのは「万場」であるといわれます。
大正元年測量・昭和27年応急改訂版の「万場」を見ると、21個の峠が記載されています。 ハスラー50 で山に足を運ぶようになって「万場」の地図を買い求めたとき、 そこに示されている峠ぜんぶに行ってみたいものだなあと思いました。 しかし中には徒歩でしか行けない峠も多く、さりとて当時歩いてまで行こうとはしなかったので、 目標達成はいまだに遠いままです。 2016年06月現在で到達した峠は15。 まだ6つも未踏のままです。 これはまだまだ楽しめるということではありますが、 その中でもラスボス的存在は雁掛峠と赤岩峠。 この2つの峠は登山ルートとして健在ですが、行程が長く比高があり、そして険しい峠。 登山家の方々にはどうということのないルートなのでしょうけれど、 私にとっては最終目標としてもよい難易度です。 さあ、「万場」の峠にすべて立つという目標が達成できるのはいつ? それともはたして、達成できるのでしょうか?
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近世の広域交通の中で、信州佐久地方から秩父を抜け鎌倉に向かうルートは鎌倉街道と呼ばれます。
鎌倉街道は固定された1本のルートではなく、いくつものバリエーションがありました。
つまるところ鎌倉に行くのに使われたルートはすべて鎌倉街道だったということです。 塩沢峠は、甘楽富岡地方から秩父に行くのに使われたルート上の峠。 秋畑村 (現 甘楽町秋畑) から 小峠 を越えて会場に出て、そこから大峠を越えて山中領、いまでいう神流川流域の万場町 (現 神流町) に出て、 さらにそこから志賀坂峠や土坂峠などを越えて秩父方面に出ました。 この大峠が塩沢峠です。 会場から塩沢峠の途中には、 不入道峠 があります。 会場から塩沢峠を越えて山中領万場までの間は距離が長く、 途中には補給を受けられる大きな集落もないので、徒歩交通時代は大変だったことでしょう。 自動車交通の時代になると、2つの山脈を越えなければならない富岡と万場を結ぶルートのニーズは大きく低下し、塩沢峠は長い間忘れ去られました。 峠と万場の間は御荷鉾スーパー林道の重要な接続セグメントとして早くから自動車道ができあがりましたが、 会場から塩沢峠の間に新しい自動車道が開通したのは20世紀も終わりのころでした。 現在では塩沢峠のルートは県道富岡万場線 (現 富岡神流線) となり、塩沢峠の北側は快適な山岳ハイウェイになっています。 |
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