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Iriyama Toge Pass

入山峠


ここは入山峠と呼んでもいいのでは

    那須峠 横見峠 の探索の帰り道、 いのぶ〜で入山から立沢に抜ける道に行ってみました 。 秋畑と富岡野上の境界の峠に向かう林道は、路面も法面も熟成が進んでいます。 2か月前の大雪災害の爪痕はこのエリアの林道のあちこちに残っていて、 このルートでも途中太い竹が倒れて道をふさいでいましたが、 これはミラーを折り曲げてちょうどくぐれる高さ。 道は境界の峠までたどり着けそう。 立派な峰越し峠のようなのに名前をつけてもらえていないだなんてかわいそうなので、 入山峠とでも仮称するようだろうか。 でもそれだと碓氷松井田の入山峠とかぶりますので、秋畑入山峠かな。

    などと考えながら進むと、おお、峠だ。着いたぞ。 すると、あれ、人がいて、道路中央に転がっている岩をどけようとしています。 聞くと立沢から登ってきたクロカン乗りの方でした。 そちら側はどうでしたかと聞かれ、 大崩落はないし、竹さえどうにかすればジムニーなら大丈夫ですよと答えると、 峠の先のカーブからぬうっと三菱ジープが現れました。 あ、あ、あれですか? はて幅は大丈夫だったかなあ。 しばらく楽しく話しをさせていただいて、グッドラック。

    野上側は秋畑側とはちがって幅も広く、デリカ級。 落ち葉に覆われた路面はさほどには荒れておらず、 倒木はジープさんが処置してくれていたので全く問題ありません。 この道、実は、標高642mあるさきほどの峠よりも、野上側のほうが標高が高いのです。 最高地点で692m。こちらがルート上は峠と呼ばれるべきなのかな。 さらに気もちいいトレイルを進んでいくとこれは・・・ うぎゃあああ。

    途中那須峠に向かう支線に入ってみましたが、倒木。 今回は無理せず、峠まで水平直線で360mの位置で引き返しました。 立沢ダムに降りればよく整備された砂利道で、さらに快調。 さすがにおなかが空いたので信州屋まで戻り、コーヒーとおやき2個。


ここを入山峠と呼ぼう





    帰ってから再度調べて、この峠は「入山峠」で正解であることがわかりました。 「甘楽町之地名」に以下の記述があります。

甘楽町之地名 甘楽町地名調査会 1999年 p039 秋畑地区 其ノ三 (赤谷平、赤谷、桃瀬、谷ノ口、入山)の地名

谷ノ口

公称地名。秋畑梅ノ木平から登ってきたこの道は谷ノ口で分かれ、真直行けば入山谷の詰めに到達し、 入山峠から富岡野上に出て下仁田に通じている道 と、 もう一つ那須峠から那須の集落と結ばれている。
谷ノ口の分岐点から右に行けば、富岡市岩染から一ノ宮方面と富岡市街に出られる ので、車のなかった時代は谷ノ口は交通要所であった。谷の入口を意味した地名と思われる。(地形地名)


    ここで下線を引いた部分は藤田峠のことを示しているものと思われます。 でもまだいまひとつ自信なし。

    このことを伝えると、さっそく友人から指摘。 稲含滝の入林道は昔のルートとは違うから、峠の位置も違うのではないか、 古来の入山峠は骨!!の場所から峰に上がったところなのではないか? とのご意見。

    そう、そこは気になっていたポイント。 だからこの問いを受けたときはすでに、 旧図に示されている道を今の地図にオーバーレイする作業をしていたのです。 結果は右。 緑の線が明治40年5万図で示されている道です。 太いのは里道、細いのは小径です。青は現在の地図での稲含滝の入林道。

    これを見ると、入山から西に小径が延びて、819.9峰のすぐ北で峰を越えています。 この場所が入山峠と呼ばれるのはごく自然に思えます。 が、その先の道はむしろ南下して、横見峠に向かう途中で消えているのです。 この道は野上に出る道ではありません。 杣人の仕事道ではあったでしょうが、 那須の人が富岡・下仁田方面に出るために使った道ではないはずです。

    いっぽう、今回ここが入山峠だとしている道は、スタート地点は入山と二ツ石の間のあたり。 でもそこから北北西に向かって峠を越えた道はまっすぐ富岡野上の宮城を目指しています。 宮城まで出れば、三本杉の峠を経由して下仁田へ出られます。 また鎌田峠を経由すれば南蛇井へ、あるいは額部を経由して一の宮さらには富岡市街に出られます。 それゆえ、「甘楽町之地名」にある記述の 入山峠から富岡野上に出て下仁田に通じている道 に相当すると考えられます。 このため、こちらの峠が入山峠だろうと結論しました。

    ところでこの地図でわかるとおり、入山峠の鞍部は入山峠古道と現在の稲含滝の入林道とで共通ではあるものの、 そのポイント以外の経路はまるで異なっています。 今回は、入山峠を越えたものの、古来の入山峠みちはまったく通っていないわけです。

    那須の人々が買い物に出るとすれば、富岡よりも下仁田のほうが近く、下仁田に出るならば横見峠がありました。 富岡に出る場合は藤田峠がありました。 入山峠がファーストチョイスとなるのは、谷ノ口・二ツ石・入山の集落に住む人々が下仁田に出る場合くらいなものです。 これらは那須に比べてもずっと小さな山奥の集落でしたから、入山峠を生活路として使っていた人は少なかったことでしょう。

    なお、明治40年5万図で入山集落から西の峠を越えて行止りになっている地点は、ルートは違えど今回倒木で断念した地点とほぼ同じ。 ここには休憩用のしっかりした東屋がありました。 昔から林業作業の基地ポイントだったのかな。




ここは入山峠ではなかった!

    林道車道が越えるのは古来の入山峠と同じ地点、だからこの峠は入山峠だ・・・という上述の議論は 誤りでした。 他のどの地図よりも情報量の多い甘楽町1万図を見ると、 三沢山819.9mのすぐ北の鞍部が入山峠と示されています。 やはり師匠が地形図を読みとった「入山峠は入山の谷を詰めたところの峠」は正しかったし、 甘楽町之地名の「真直行けば入山谷の詰めに到達し、 入山峠から富岡野上に出て下仁田に通じている道 」 は素直にストレートに読むべきだったのです。 ありゃ、ここを越えてからもう1年も経っているよ。

    林道車道が越える峠はやはり 新入山峠と仮称 しておきましょう。

    でもなあ、悔し紛れを言うわけじゃないけれど、 すでに書いたように明治40年の5万図では真・入山峠の道は宮城側は途絶えていて、 新・入山峠の道がはっきり書かれているんだよ。 これは明治40年にもなると真・入山峠を越える生活交通は廃れ、 代わりに新入山峠の経路・・・ 宮城に行くルートと、根藤峠・藤田峠経由で岩染に下りるルートが開かれたということなのでしょうか。

    「甘楽野今昔物語」に以下の記述があります。

「甘楽野今昔物語(かんらのむかしがたり)」 深澤 武 著 あさお社 刊 (1985年) 「甘楽町の峠路」

入山峠と那須峠、矢ノ口を更に赤谷川に沿ってのぼれば、二つ石にでる。二つ石というのは、雌雄一対の夫婦岩のことである。 一の宮の貫前神社から額部を通り、藤田峠、那須峠をこえ、稲含神社に参拝する道程の中間の目印であったともいう。
・・・・・
二つ石より、更に山路をたどれば、入山の部落である。ここから峠路をこえて、額部の宮城にでる。 富岡、下仁田方面との往来ができた。


    この本は秋畑出身の著者 深澤さん自らの言葉で書かれています。 深澤さんが秋畑で幼少を過ごしたのは昭和初期で、 その頃はまだ「入山峠」がこの地に生きていたということです。 しかしこの記述からだと「ここから峠道を越えて、額部の宮城にでる。」 という入山峠が、本稿でいう真・入山峠なのか、それとも新・入山峠であるのかは明確ではありません。 深澤さんのいう入山峠がどちらの峠であったにしても 「入山から富岡・下仁田方面との交通に使われた」という点では同じであり、 その意味で真・入山峠と新・入山峠は「入山峠」という共通のアイデンティティを持っていたとしていいように思われます。

    さて、すでに記したように、現代の林道のルートは古来の新入山峠のルートとは完全に異なっており、 立沢ダムから新入山峠に至る途中で最高地点を迎えます。 この最高地点を地元の人は 塩の沢峠 と呼んでいます。 いまのところそれを記した地図や文献はなくあくまでも口述、 かついつのころからそう呼ばれるようになったのかも不明。 ともかくここに書いておく価値はあるかと。

2015-04-20 誤りに気づく



入山峠の正しい位置を記入、林道車道が越える峠を新入山峠、 宮城から新入山峠の途中の最高地点を塩ノ沢峠とした。 那須峠・横見峠・根藤峠の位置は確定踏査すみ。


入山峠に行く

    「負けです師匠、やはり入山峠は入山の谷を詰めたところでした」と報告したら、 すかさず師匠はエクストリーム帰宅通勤で入山峠に登ってきたそうで、 さすがだ。 ヤブが伸びないうちに行きなさいという師匠のお言葉通り、週末朝の散歩として入山峠に向かいます。

    入山の谷は現在では砂防堰堤がつくられています。 このため谷の景観は昔とは全く異なるとのこと。 いまでは入山峠への道は砂防堰堤の左岸にあり、谷に沿って登っていきます。

    おそらく古来の入山峠とおなじこの道は師匠が先行して登っていましたし、 今回は谷からずっと東に離れて大回りし、稜線に向かって登りました。 今日は風がとても強いのですが、しかし山の中はとても静かです。 荒れた暗い植林帯の斜面を強硬に登っていくにつれ次第に大きくなってくる風の音がもうすぐ稜線であることを知らせています。 明るい稜線に出ると、手袋が飛ばされてしまうほどの強い風が吹き抜けていました。 汗ばんだTシャツも体もみるみる冷えていきます。

    稜線は富岡市と甘楽町の境界ですから、境界杭もところどころに打たれており、 はっきり踏まれています。 ちょっと休憩したのちに稜線を南西にちょっと下り、鞍部に到着。 峠はとくに何の変哲もない場所でした。 ここから北西へ…宮城に向かって降りていくような明確な踏み跡は見つかりませんでした。 ま、そりゃそうでしょうね。 峠には通り雨をちょっとの間しのぐのに使えるかもしれない形をした大きな岩がありました。 昔は実際このあたりの山奥で修行をしていた僧がいたためか、 秋畑の山奥の昔話には天狗が出てきたりします。 この岩からもひょいっと天狗が出てくるような、そんな気がしました。 実際にいまここにいるのは、身ごなしの軽い天狗ではなくて、 中性脂肪と高血圧の薬が手放せなくなったヘタレ中年デブライダーがひとりだけ。

    下りはおそらく古来のルート。 ただし道はところどころ不明瞭で、 まあこういう風に下りていったのだろうという感じで。
    過疎化が進む甘楽町、その最奥の秋畑、さらに秋畑の赤谷川沿いの最奥部、入山。 その入山谷の詰まりがここ。 そんな奥の谷なら美しい沢に出会えるかもしれないと思ったりしますが、 谷はたくさんの倒木と流れ出た土砂、おびただしい細枝に埋まり、荒れています。 今年の5月は雨がとても少なく、沢に流れはなく、涸れています。
    このあたりの山は昔は木がすっかり切りだされて丸坊主に近かったときもあったに違いありませんが、 いまは植林された杉林。 しかし林業機械を入れる道もないここの杉が伐採されるのはいつのことなのでしょう。

    そんな入山谷の最奥部には、見事なちぃじがきが残っていました。 秋畑・那須のちぃじがきのそば畑の美しい山村風景を見に訪れる人も今では多いですが、 動力機械もなかったころに造られたはずのもの。 はて、ここのちぃじがきは杉を植える便のためにこしらえたものとは思えず、 では土砂流出防止の目的だった? それともひょっとして、昔はここで畑作が行われていたのでしょうか。 しかし畑作は放棄され、代わりに杉が植えられた? 昔の様子を記した書物もなさそうで、この地の昔の姿はもう知ることはできないのでしょうか。

    谷を降りる道の傾斜が緩やかになったころ、庭付き一戸建ての家が建ちそうなひろい緩斜面に出ました。 ちぃじがきが造られていて、雨水排水路が掘ってあります。 昔はここに家があったといわれても不思議ではなさそう。 さらに下りるとおそらく昔は畑として使われていただろう緩斜面。 もちろんいまでは何の手入れもされていません。 が、汗を手拭いで拭きながら農作業をする人の姿が一瞬見えた気がしました。 下仁田の町での買い物帰り、長い山道を延々歩いてきて入山峠を下ってここにきた人に畑の人はお帰りなさいと声をかけ、 二人で畑のふちに腰を下ろしてお土産の饅頭を分けて食べる・・・ ひょっとしてそんな光景があったのかな、などと思いながらこの1ヶ月でぐっと伸びたヤブ草をかき分けて降りて、 砂防堰堤に出ました。

    峠はあんなに風が強かったのに、明るい谷をわたる春の風は穏やか。 この風は、たぶん昔も今も変わりがないのでしょう。

2015-05-10 真・入山峠 [初]

入山峠


入山谷最奥部の石垣


入山砂防堰堤


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