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Mitsubishi DELICA D:5


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2008-09-28 予想外の出来事

    シリンダブロックに歪みが残ってしまっており、修理にはエンジン交換しかない、という恐怖の連絡。 あああ、やってしまった。 「大修理ですから決心されるのにお時間がかかるのは仕方ありません。いましばらく車は預かっておきますから、修理するかどうか連絡をおまちします。」

    さて困った。まだまだ乗るつもりでしたが、実際にはすでに車齢13年。 エンジン換装したとしても、これからあちこち痛み始めてくるころ。 安心して乗れるのはあと2年がいいところ、その先はそれなりのダウンタイムを覚悟しなくてはなりません。 60万円払ってエンジン換装するのがベストとはいいかねます。 それに、60万円あればほとんど同年式のハイエースワゴンが1台買えてしまいます。 なおさらエンジン交換は得だとは思えません。

    ならば買い替えれば良い…でもスターワゴン引退のときと同じように、ほしいクルマがありません。 もう200系ハイエースバンもキャラバンも選択肢から落ちてしまいました。 各社のSUVについても、ひょっとして気に入るかもと思いウエブをみたりカタログをみたり実車をみたりしてきましたが、まったく魅力を感じません。 デリカD:5は、クロスオーバー車よりはましだとしても、狭いし、アイポイントが低いし、ディーゼルが無いし。 次世代ディーゼルのXTRAILは興味はあるものの、センターメーターであるという一点で完全失格だし…。

    ともあれ、本格的に車種選びを始めなければなりません。 もしほしいモデルが見つからないならば、エンジン換装を依頼しましょう。 2週間程度をめどに方針決定する必要があります。

    そこで、修理工場から修理不能の電話を受けたあとすぐ、まずは候補車の一つであるデリカD:5のカタログをもらいに、近くの三菱ディーラーに行きました。 ディーラーに向かう途中、すばらしいアイデアがわきました。 iを買ってヨメ車にし、私がターボ・ファルコン号に乗ればいいのです。 iは自分の用途にはまったく合っていないけれど、とても好きなクルマで、これが自分の家にあればどんなにすてきだろうとずっと考えていたのです。 ひょっとしたらもうすぐにでもiMiEVが出るかもしれないし。

    あるいはこの際、いままで考えてもみなかった人生の大転換をするのも楽しいかも。 10年落ちのセドリックあたりで落ち着くとか、ミゼットIIで楽しむとか、初期型MR-2とかFC型RX-7とか。 ジラソーレなんかすごく魅力的だし、すばらしいデザインのいすゞビークロスに乗るならラストチャンスかも。

    しかしヨメは、ポンコツでもいいから一台は7人が乗れて家族で一泊旅行に行けるモデルであるべき、と強く主張します。 よってi計画は残念ながらボツ。 いっぽう、私が乗り出せばどんなクルマであってもかならず山に行ってしまうので、 やはりオールテレインケイパビリティは絶対に必要なのです。

    数日間悩んでいたらヨメは、「いいかげんグチグチ言ってないでそのへんの中古車屋でスターワゴンでも安く買って来い!」 おお、案外にイケるかも。スターワゴンのラフロード性能はまだまだ楽しみたかったですから。

    しかし1980年代後半設計の車体では衝突安全性能が絶望的。 幸いにいままで軽微な接触以上の事故を起こしたことはないけれど、こればかりはこの先も大丈夫という保証はありません。 衝突実験のビデオをみればその差は歴然。 飲酒運転のバカに突っ込まれて一生自分の足で歩けなくなることを防げるならば、300万円かそこらの出費はさして高いとは思えません。 7人が快適に家族旅行を楽しめて、オールテレインケイパビリティを有し、他車に劣らない安全性能をもつ…となると、ほとんど車種は絞られてきました。

    今一度落ち着いてデリカD:5を見てみると、

  • ヘッドライトはきちんと4灯。
  • センターメーターというばかげたことをしていない。
  • シフトレバーがかくあるべきところに設置されている。
  • クリアテールというふざけたことをしていない。
  • フロントターンシグナルランプはヘッドライトに極端に近くなく、必要な視認性を確保している。
  • リヤコンビネーションランプはきちんとウエストラインにある。
  • マニュアルシフトモードを持っている。
  • 必要なグラウンドクリアランスを持っている。

  • といった点で、私の中で重要な基本ポイントをほぼすべてきちんと満たしています。 オフセット衝突対応のクラッシャブルゾーン、ニーエアバッグとカーテンエアバッグ装備、結果としてJNCAPで六つ星…も安心できそう。

        しかし、

  • ターボディーゼルエンジンではない
  • FRにならない
  • サブミッションを持たない
  • 金属プッシュベルト式CVTの不安感
  • カーゴルームサイズが期待値に大幅未達、積載能力が絶対的に不足
  • ベースプラットフォームの容量不足をアッパーボデイの骨格で補う無理

  • という点がどうにも気になって、踏み切れずにいました。が、D:5は

  • サポートカーとしてパリダカを走った

  • という実績があり、

  • スポーツレンジで1速固定にすれば急坂発進制御が入る

  • となれば、これは無視することはできず、さらに

  • なんと対角離地脱出制御を持つ!!

  • ことを知るに至って、これはそこらの子育てミニバンの生活四駆とは違う!! 様々な制約に苦しみつつも、クロスカントリーパセンジャーバンとしてのデリカのスピリットは完全には失われていないようです。おまけに

  • 純正オプションでサブバッテリシステムが用意されている

  • ことでダメ押し確定。

        こうなれば、キャビン後半部の狭さと見切りの悪さ、絶対的な積載力不足は衝突安全の代償として受け入れざるを得ないし、 アッパーボディのリブボーンフレーム構造は旧型フォードエクスプローラーに見られたロールオーバー時のルーフ圧壊の心配を減らしてくれると考えましょう。 他のファミリーミニバンとは違って、ボディ剛性と足周りのチューニングもラフロード走行をある程度は考慮されているでしょう。 またこのシャーシに積むことのできる新世代ディーゼルの開発計画はしばらくなさそうなので、 買ってさほど経たずに高圧コモンレールディーゼル登場、とはならなさそうです。 スターワゴンが美点としていたハードな使い方はできないのかもしれませんが、 新生三菱が苦労して見いだした2006年における最高レベルの妥協点を楽しむ価値はありそうです。

        こうしてハイエース修理不能の連絡から約2週間後、後継車種はデリカD:5に決定しました。










    装備を検討する

        中古も考えましたが、デビューからまださほど経っていない現行モデルなので、満足の行く構成となるように新車の方向で検討を始めます。 どうせ長く乗るのだから後悔のないようにフル装備と思いましたが、遠慮なしにあれもこれもつけるとさすがにいい値段になってしまいます。

    カーテンエアバッグ

        これは落とすわけには行きません。 ミニバンは側突時に横転することがあるので、カーテンエアバッグは衝突の反対側も展開してくれた方がいいのではと思いますが、 D:5は側突検知だけでロールオーバー検知機能はなく、 衝突されたほうのカーテンだけ展開します。まあいいか。 セダンと違って、トライアルセクションのようなところを走行することがあるクロスカントリー車では、 ロールオーバー展開判断はきっと難しいんだろうなあ。

    寒冷地

        寒冷地オプションが設定されているならそれを選ばない手はありません。 住んでいる土地は寒冷地仕様などは不要なのですが、 雪道大好き+無線運用もする自分にとっては、電装系の基礎体力はとくに重要です。

    サブバッテリシステム

        純正オプションでサブバッテリがあるというのはさすが! 無線屋には特にありがたいです。 楽しそうだし、結構な工賃を浮かせられるし、組付けは自分でやることにしました。

    電動ドア

        狭く短いデリカD:5では特に長物の積載力に劣るので、ルーフラックとリヤラダーは必須と思っています。 最上位のG Premiumパッケージを選ぶと左右のスライドドアとリヤゲートが電動になりますが、 リヤ電動ゲートは過負荷になるためラダーは取り付けられないとのこと。 そのため、ベースパッケージを一つ落としてNaviパッケージにし、そこからの増減にしました。 右側スライドドアの電動は予算がきつくてドロップしました。 これはあとで正解だったと気づくことになります。

    大型バンパーカバーと大型フォグランプ

        どちらかというと機能性よりもファッションの性格が強いオプションですが、セットで入れておきました。 フォグランプはもちろんイエローを選びました。 HIDのフォグランプというのが用意されていますが、これはまったくのジョークですね。

    インフォテインメント

        純正MMCSを選びました。 走行中にナビゲーション操作ができないという大きなデメリットがあるものの、カメラやETC OBEそれにETACS連携を買いました。

    RockfordFosgate Premium Audio

        オーディオは奮発しました。 ごく普通のカーオーディオではロジャー・ウォータースのベースをきちんと再生できるはずがないので、 どのみちサブウーファの増設は必要です。 自分で機材を選んで取り付け、デッドニングを工夫するのは楽しいでしょうが、 とてもそんな時間はありそうにないので、メーカーおまかせで。 自分の好みにあうかどうかはわかりませんが、素人がみようみまねでやるよりはずっと良いだろう、ということで。

    後席モニタ

        天井吊下げタイプのLCDモニタはかっこいいけれど高価格すぎ。 ハイエースに使っていたリヤシートモニタを取り付ければいいので断念しました。 それにポゴはそろそろ景色を楽しんだり親との会話を楽しんだりと、 次第に子供向けアニメ放映が不要になってきていますし。

        後付けも可能な外装オプションはあとあとのお楽しみにします。 かき集めたお金でどうにか手が届きそう。 定年になるまで乗ってやろうという覚悟で、生まれて初めての新車を発注。

    2008-10-22 発注




    リーマン・ショック

        11月に入り、書類を用意しディーラーで契約を済ませると、 なんだかテレビニュースの内容が不穏な様子になってきました。 今年に入って海外のウェブニュースや短波放送のニュースでよく聞こえていたサブプライム・ローンという言葉が急に頻繁に伝えられるようになり、 先月からなにやらリーマン・ブラザーズがどうしたこうしたとか… しかしまるきり経済オンチの私には別の世界の話としか感じられなかったのです。

        それが突然、自分の身の回りに大きな変化となってあらわれました。 ええっ、お客さんからの受注が止まったって? それはまるでぬるぬるの急坂下りに突入してしまったかのよう。 生産停止・一時帰休・アルバイト解禁と立て続けに、 いままで想像できなかったことが次々起こります。 いままで納期に間に合わせるために必死だった購買部門は、 どうやら昨日、経営者が夜逃げした業者の倉庫に行って在庫品を引き上げてきただとか、 昨晩工場に行って金型を引き上げ、明日に別の業者に持っていく予定なんだとか、 ウチの在庫はまだあるんだけど今までの売り上げを支払ってもらうまでは次の出荷を止めるように指示しただとか、 ウソかホントかわからない話が飛び交っています。

        こっちは1年・2年先の製品を開発する職だから突然仕事がなくなるということはないのですが、 そのプロジェクトの延期の予定とかキャンセルの可能性がないかとか営業もバタバタしているようすですし、 明日は全工場閉鎖するからオマエらも会社に来るなとアナウンスが出たり。

        こりゃあマジでこのオレにも失業の可能性があるわけだ。 ようやく事態の深刻さがわかってきました。

        そういえばオレのデリカはどうなった? いくばくかのコンポーネントが取り付けられただけのリブボーンフレームのまま、電源を落とされた真っ暗な工場のラインの上で放置されていたりするのだろうか? おい、まさか坂祝は止まっちゃあいないんだろうな? まさかクルマも納車されず、代金も返されず、なんてことにはならないんだろうね?

        もともと関東地方で販売されるD:5は坂祝で生まれたのちいったん船に乗ってくることになっており、 標準の納期は3週間がところ、ということでした。 結果として11月26日、無事に、そして晴れて、D:5納車。 よく来たな、心配したんだぞ。

    2008-11-26 納車

        通勤に使った後の3日めの夜、走り初めに出かけます。 必ず、というわけではありませんが、あたらしいマシンが来た時の走り初めはたいてい十石峠。 今回は三本杉峠・湯の丸トンネル経由で十石峠を越え、佐久から高速で帰投。 標高1100mから上では早くもシャーベットになっていた峠もノーマルタイヤのままスムースに走れましたが、 ハイビームヘッドランプはスポットすぎて、かつあまり上を照らしてくれません。 フォグランプを併用していますが、 夜の林道を走るにはかなりの減点。 ターボ・ファルコン号のほうがずっといいな。 ハイビームのエイミング調整機能はついていないようで、これは我慢するしかないのだろうか?








    2008-11-29 スタッドレスタイヤ

        納車されて3日目、行きつけのタイヤショップでスタッドレスタイヤとホイールのセットを購入。 タイヤは迷わずにTOYO Winter Tranpsth S1を指定、サイズは純正17インチのサイズをチョイスしました。。 ホイールは平凡なデザインの5本スポーク。 さすがにこの車両デザインだと、往年の4WDディッシュホイールは似合わないかな。

    2008-11-29 スタッドレスタイヤ+ホイール TOYO Winter Tranpath S1 130000円

        仕事は相変わらずにストレスフル。 帰宅通勤に新車でついあちこちふらふらしてしまいます。 おとなしく巡航していれば燃費はリッター10km、 藤田峠の登りはディーゼルのトルクフルな粘り感はありませんがCVTのシフトフィールはスムースで軽快に登れます。 初のダート走行は稲含林道。 グラウンドクリアランスは十分とはいいがたいものの、 整備されたダートならもちろん全く問題なし、 シャシ剛性もスターワゴンやハイエースワゴンよりも高いようで、サスペンションもとてもいい感じです。

    2008-12-09 藤田峠 [再]
    2008-12-11 茂垣峠 三本杉峠[再]



    2008-12-27 KOS BEAN

        D:5はヨメは運転しませんが、家族で出かけたときにヨメ一人でドアロックだけできたら便利。 そこで1000km点検・オイル交換のついでにKOS BEANを発注しました。 あきらかにiあたりの軽自動車用オプションの転用ですが、ヨメに持たせるならちょうどよし。

    2008-12-14 1000km点検 オイル交換 2700円 KOS BEAN発注

        平日夜はまたまた遠回り帰宅通勤。 三本杉を超え南牧。 田口峠は標高も高く非常に狭くツイスティであるにもかかわらず冬季閉鎖にはならない峠。 しかし今回は長野側崩落のため通行止めになっています。 かわりにうっすら凍った大上峠で長野へ。 今回は温蔵庫をはじめて使用。 内部照明が赤色になるとは知らなかった!

    2008-12-16 三本杉峠 大上峠 [再]
    2008-12-22 妙義道路 杉の峠 [再]
    2008-12-23 KOS BEAN入荷連絡
    2008-12-25 内山峠 (内山トンネル) [再]

        オプションのKOS BEANのセットアップ。 サービスさんたちはMUTでのセットアップに30分近く要していました。 ま、ファルコン号のキートランスミッタ増設のときもOBDIIを使って45分くらいかかっていましたし、想定の範囲内。

    2008-12-27 KOS BEANセットアップ
    2008-12-31 小峠 [再]




    2009-01-02 やっぱりね

        ヨメとポゴはばあちゃんちにお泊りに。 D:5の純正MMCSは走行中にDVD再生はできないのでポゴが退屈するかなあと思いましたが、 6歳になったポゴはもうDVDなしでも問題なし。 いろいろな景色を楽しめるようになっています。 それに多くの場合ポゴは助手席にジュニアシートで着座しているので、後席モニタの必要性は感じません。 ハイエースからサルベージしたパイオニアのモニタは出番なし。

    右側スライドドアを電動にしなかったのもおそらく正解。 右側は車両のメンテや荷物の積み下しなど乗降以外の開け閉めが多いので、 素早く開け閉めができてバッテリへの負担の心配がない手動ドアにしておいてよかったと感じます。

        帰路はソロで久しぶりのロングラン。 冬なのに雪が少ないなあ、それにこれはリーマンショックの影響でしょう、正月とはいえ高速道路の交通量も少なく感じられます。 ガラガラの夜の北陸道を、音楽を聴きながら快適にクルージング。

        それでもさすがに妙高高原を抜ける区間は雪。 4WDに切り替えると車体の安定が増すのがはっきりわかります。 センターデフロックまでは試しませんでした。 雪わだちができている区間で車線変更するのはかなり怖いですし実際に姿勢が暴れることが多いですが、 ESCとトラクションコントロールがうまく介入してくれます。 無理は禁物ですが、ミスをかなりのところまではリカバリしてくれるようです。

        ロービームに使われているHIDのプロジェクタランプというものを私はかなり懐疑的に思っています。 プロジェクタランプはそのメリットも認めるものの、対向車からみた存在アピールが弱いのが気になっています。HIDは悪天候で使いづらいし。 D:5のHIDは点灯し始めの色温度が高くて、納車後最初に点灯したときはこりゃアカンと思ったのですが、1分も経たずに色温度が下がり、とりあえずほっとしました。

        ウォータースクリーンがひどくなると、やはり高めの色温度のために見えづらくなります。 HIDを消してフォグランプだけで走りたいところですが、フォグランプはエイミングが低く、そうもいきません。 さらに進むにつれ、ロービームの明るさがかなり落ちてきました。 やっぱりね。 パーキングエリアに入り、ヘッドライトレンズの着氷を落としました。 レンズについた氷が融けないというHIDの欠点はしっかり持っています。 レンズウォッシャーかレンズヒータをリーズナブルな価格でオプション設定、または寒冷地仕様に純正装備してほしかったなあ。 ヒータといえば、リヤデフォッガ連動のミラーヒータは効果大でした。こりゃうれしい。

    2009-01-02 北陸道ソロロングラン




    2009-01-10 フロアマットに失望

        D:5のインテリアはベージュとブラックが選択可能でした。 迷わずブラック内装をチョイスし、専用フロアマットもつけました。 ブルーのフットウエルライトとあわせて、精悍なイメージで、いい感じです。

        ところが納車2日後して、このフロアマットには重大な問題があることに気がつきました。 完全なブラックだから細かな砂や繊維くずがとても目立ち、毛足が長く絡んでいるので掃除機を軽くかけてもたいしてきれいにならないのです。 シガーソケットから電源をとるハンディバキュームクリーナは全く無力で、家庭用掃除機を持ち出しても相当難儀します。

        ボディコートのおかげで洗車は楽ですが、フロアの清掃はとんでもなく時間がかかります。 1ヵ月半の間毎週掃除機と格闘し、ほとほと疲れてしまいました。 貴重な週末に大変な時間のロスです。 靴の汚れをよく落としてから乗り込むべきですが、そんなことに必要以上に気を配らなくてはならないなんてオフロード車としてはナンセンスです。

        ので、純正フロアマットはあきらめ、自動車用品店でフリーサイズのフロアマットを買い、作ることにしました。 砂汚れが目立たないよう、やや明るいグレーのマットを選びました。 翌日、とりあえずD席マットだけ製作。 ハサミでカットするだけなので簡単ですが、縁の処理はないので見た目に素人くささは残ります。 それでも、砂汚れが目立ってしまう不快感からは解放されました。ふう。

        たかがフロアマットとはいえ、運転席のマットはずれたりめくれ上がったりするとペダル操作に干渉してしまうので、じゅうぶんに気をつけなくてはなりません。 純正マットのずれ防止金具が外れたりすると間違いなく国交省のリコール対象です。 そこで純正マットは外し、新しいマットにもずれ防止フックがきちんとひっかかるようにしました。

    2009-01-10 永大化工株式会社フリーカットマット 900x1300mm 2780円
    2009-01-11 D席フロアマット製作




    2009-01-16 何かが違う

        いつものように夜のお散歩、雪の林道を進みます。 なんだかんだいいながらさすが最新モデル、高いお金を払っただけあっていい車だ!

        フルオートエアコンは出発時からまったく操作しないまま快適な車室温度を保ってくれているし、 エンジンは静かで、ロックフォード・フォズゲートはいい音でスムース・ジャズを奏でています。 電子制御CVTの応答は滑らかで、パワーに不足はなく必要なトラクションがジェントルに得られるし、 必要とあらばDsレンジでレスポンスよくパワフルに走れます。 舗装路もダートもサスペンションはしっかりしているし、 深めのわだちや石ころだらけの荒れた路面でもアンダーボディへの接触はなく、 ボディ剛性にも不安はなくステアリングコントロールは正確、 ときおりタイヤが滑ってもESCとトラクションコントロールが何食わぬ顔で修正してくれるし、 アダプティブコーナリングランプがタイトターンの先を照らしてくれています。 ナビゲーションシステムは山の中なのに自車位置を正確にトラックし目的地までの距離を表示してくれているし、 コンピュータが燃料残量と直近の燃費傾向から航続可能距離を算出してくれています。 貧乏だったオレもこんないいクルマに乗れるようになったんだなあ、としみじみ。

        まったく安心しリラックスしたままいつのまにか夜の雪の峠を越えたとき、 ふと、ちょっと待てよ、いま自分はいったい何をしているんだろうか、と疑問を感じました。

        細かな点はともかく、自分の使い方からしてデリカD:5の機能・走行性能は、積載能力の不足以外はほぼ満点といっていいでしょう。 現時点でのベストチョイスだし、期待以上です。 でも、氷点下の真冬の夜の雪の峠を、雰囲気のいいカフェでくつろいでいるときのようになんの心配もなくリラックスしたまま越えることが私の理想だったのでしょうか?

        Yes。これはこれで私が長年望んでいた幸せの一つでした。 拒否するつもりも手放すつもりもまるでありません。しかし快適性と安心感との引き換えに、なにか大きなものを失った気がしたのです。

    急な登り坂にあえぐ小さなエンジン。

    エアコンも止め、オーバーヒート・オーバーレブを心配しながら、パワーを最大限に引き出すための素早く正確なシフトワーク。

    サスペンションやシャーシのダメージを心配しながらのラインどり。

    オーディオも消してパワートレイン・ドライブトレインや車体に異常がないか音に耳を澄ます。

    燃料が持つかどうかの計算。

    そもそも道を間違えているのではないかという不安。

    頼りないヘッドライト。

    そのヘッドライトも照らしてくれない真っ暗なタイトターンの先に目をこらし、ワンミスで谷底へまっさかさまの恐怖とたたかう…。

        それだから、峠についたときの達成感は叫びたくなるほど強烈で甘美、クールダウンしているクルマはこの上なくいとおしく見えたものでした。

        それがいまやまったくないのです。

        なんとも贅沢な悩みだ。 D:5を手放すつもりはまったくないけれど、あの充実した瞬間を忘れたくもありません。 ならばもっとずっとビッグなアドベンチャーツアーに出ればいいのだろうけれど、いまはそれも無理。ではどうすれば…。

        そうだ、 モーターサイクルの世界に戻ろう。




    2009-03-08 改善対策

        月曜日に国交省からデリカD:5のバキュームブースターチェックバルブの改善対策が発表されました。 その症状には今まで気づいたことはありません。 おそらく発生していなかったのだろうし、 また発生していたとしても私は始動時や発進時にまったくブレーキペダルを踏まないということはあり得ないので問題なかったと思います。

        2日後、三菱自動車からの通知レターが届きました。国交省発表の日に発送したのでしょうね。 ちょうど5000kmを超えたので、本日ディーラーに入庫し、対策反映とオイル交換を行ってもらいました。

        1時間半ほどかかるとのことで代車を出してもらい、買い物にでも行こうと思ったら、 第2研究所から電話。 ポゴが急に元気をなくし、嘔吐したとのこと。 ウイルス性の胃炎のようです。 第2研究所に戻り、代車にポゴを乗せ、ディーラーで仕上がったデリカに乗り換えて帰宅。 家についたらまた嘔吐。やれやれ。

        でもポゴは「デリカが汚れちゃうからおうちにつくまでがまんしてたんだよ〜」。 えらい、大きくなったな。買ったばかりのハイエースに思いっきりおもらしした頃とは違うね。

        で、2日後にはママが職場で嘔吐。伝染ったな。次はオレか。



    2009-03-01 サポートカー

    2009-02-24 内山峠 [再]

        金魚の水槽の交換用水ろ過フィルタを買いにホームセンターに立ち寄ったら、 鑑賞魚コーナーのすぐそばに自動車用品コーナーがあって、 各種ステッカーの中にMITSUBISHI MOTORSのステッカーがあり、 600円の当初販売価格のタグに油性ペンで「レジで8割引」と書かれていました。 Ralliartの500円のステッカーも同様に8割引でした。やっぱり売れないのかなあ。

        考えてみればステッカーを貼った車というのはずいぶん減っているし、 痛車を除けば、控えめにセンスよく貼っている車ばかりです。 その昔モトクロッサーを運ぶためのハイエースやキャラバンはリヤハッチをステッカーだらけにしていたものですが、 めっきり見なくなってしまいました。定番だったOffroad Expressも絶えて久しい気がします。

        一方で、コンピュータ制御のフィルムカッターでオリジナルステッカーをかっこよく作ってくれるお店も増えたので、 仲間でつくったステッカーを貼っている車もよく見かけるようになりました。 たいていは英語のチーム名やスローガンのようなもののようですが、中には噴き出してしまいそうなスペルミスや文法の間違い、 絶対英語ではそう言わないぜ…というものも見受けられます。 みんな一生懸命考えているんだろうけどねえ。

        パリダカをサポートカーとして走ったD:5のプロモーション用レプリカ実車を見る機会があったのですが、 真っ赤なボディにスポンサーとサプライヤのステッカーがたくさん貼られているそのD:5は、 驚くほどに市販車とは印象が異なっていました。 よく見ると、外観上市販車と大きく違っているのは大型のドライビングランプが取り付けられているくらいのものです。 タイヤはBFGoodrichのRadial All Terrain T/A KOで、 これも街中のタイヤショップで買えるものです。 真っ赤なボディとステッカーだけでこれだけ精悍なラリーレイド車になるとは正直びっくりしたし、 これがD:5のあるべき姿なのだ、と感じました。 でもさすがに自分の車を真っ赤に塗り替えるほどの度胸はもうないので、 8割引で一枚120円のステッカーを買い、スライドドア下部に貼りました。

        ここは昨日駐車場で軽くこすられた部分です。 幸いに塗装面のダメージはありませんでした。 一枚物のステッカーならスクラッチガードの役目も期待できますが、 このステッカーは一文字ずつ独立しているタイプなので期待薄。

    2009-03-01 清掃 ステッカー MITSUBISHI MOTORS 120円 x 4枚 RALLIART 100円 x 2枚



    2009-03-15 ファミリーミニバン

       
    2009-03-15 鼻高ピクニック





    2009-04-12 助手席フロアマット

        4月に入ったのでスタッドレスを脱ぎ、ほとんど新品の純正タイヤに戻しました。 18インチホイールに薄っぺらいストリートタイヤはやはりデリカには似合わないと思うので、 16インチホイールにオールテレインタイヤを買おうと思っています。 が、給料大幅減がつづいているので今はあきらめ、このいまどきタイヤで我慢します。 クビにならずにいられるだけ幸せだ。

        我慢するとはいってもそれは見た目の話で、 純正のタイヤはオールテレインタイヤに比べればロードノイズは少ないし、コーナーでも踏ん張るし、乗り味もスムース。 燃費も1割以上よさそう。 車に乗っていて舗装路を走っている限りは何も文句はありません。 たったひとつ、山道でえらくぬかったセクションに遭遇したときに、 ほかの意気地なしミニバンと同じようにすごすごと引き返せばいいだけです。 …ってそれじゃやっぱりデリカじゃないよなあ。

    2009-04-11 タイヤ交換 6339km

        3ヵ月ぶりにフロアマット製作の続き。 前回作ったD席フロアマットは、汚れが目立たず、運転中のずれもなくいい感じです。 前回は普通の事務用ハサミを使ったので切りづらく指が痛くなりました。 今回は1ヵ月ほど前に買っておいたカーペット用ハサミを使い、スムースに作業できました。 P席マットは、ずれ防止に特段の留意を払わなくて良いのでさらに気が楽です。

        フリーカットマットは900x1300mmのものでしたが、結局フロントマットだけで使いきってしまいました。 このマットはベトナム製ですが、 3ヵ月前に作ったD席マットはすでに右足かかとの部分の摩耗が目立ってきているのでやはり純正品に比べて耐久性はかなり落ちます。 が、まあ価格を考えればいたし方ないところ。 セカンドシートもつくりたいので、同じ製品をもうひとつ買っておこう。

    2009-04-12 P席フロアマット製作

        中京方面に仕事で一泊。 片道300kmの走行です。 世代が10年以上も違うのだから当然ではありますが、 中央道の高速巡航はハイエースワゴンよりもさらに楽、さらに快適。 疲労度合からみた距離感はスターワゴンの半分以下。 名古屋はずいぶん近くなりました。

    2009-04-13 & 14 上信越道-長野道-中央道 走行



    2009-05-06 デリカなら、もう一歩、踏み込める。


        ゴールデンウイーク最終日はあいにくの小雨。でもこの季節、小雨は新緑をなおいっそう美しく輝かせます。 で、お昼に中央研究所に戻るにあたってちょっと遠回りをし、新緑の林道ツーリングとしゃれこみます。 大福峠から安取峠へ。 安取峠は新規車道開削して間もないルート。 けっこうな勾配で高度を上げていく整備されたバラスの林道を、デリカD:5は快適に上っていきます。 薄っぺらいロードタイヤでもまったく問題なし。

        そこから先はいつものルート。 でも新緑がとてもきれいだったので、ふだんは使わないルートに入りました。 行き止まりの終点で写真でも撮ろうと、さらに支線に分岐しました。 道幅は小型四輪いっぱいで、路面はラッツができて荒れ始め、一部崩れ始めている部分もあります。 深いギャップを通過する際にフロントのボトミングとリヤの強い跳ね上げが来るだろうだろうと身構えたのですが、 デリカのサスペンションはボトムせずにしっかりショックを吸収し、たっぷりした伸び側ストロークで車体は跳ねず、余裕を見せています。 さすが! デリカなら、もう一歩踏み込める。





        支線の終点まであと少しの地点で、道路中央に長径50cmほどの大きな石、あるいは小さな岩、が転がっていました。 岩をどかしてまでも終点に到達しなければならない理由はなかったので、ここで引き返すことにしました。 最後のターンはイン側が比較的広かったので、そこで転回すればいいでしょう。そこに車を停めて写真を撮ろう。

        シフトレバーをリバースに入れ、リヤカメラとバックミラーを見ながら後退を始めました。 すると、左後輪がすこし落ち込みました。 私は昔から後退時に左に少し寄ってしまうクセがあるのです。 バックミラーでみると左側は十分余地があるのですが、いったん前進して右に寄ろう。 シフトレバーをドライブにいれてアクセルを踏むと、しかし、少ししか前進できません。 4WDに切り替えて試すと、あれれ、やはり進めず、左前輪も落ち込んで、車両が左に少し傾いてしまいました。 まあいいや、前進できないならステアリングを右に切ってバックしよう。 バックでは動き始められましたが、ちょっと進んだらコンという音がしてそれ以上まったく下がることができません。 センターデフもロックしてDsモードでしてもまったく下がりません。 前進を試したら、車両前方が左に滑り、傾きがぐっときつくなってしまいました、げ、これはやばいぞ。

        車を降りてびっくり。ま後ろには切り株があって、リヤバンパーにぶつかっていました。 これじゃ下がれないわけだよな。 一面の茶色の落ち葉に覆われた路面を背景にした茶色の切り株には、バックミラーでもリヤビューカメラでもまったく気づきませんでした。 ミラーもカメラも雨の水滴で見えにくかったのも一因。 バンパーは少しへこんでしまっています。あああ。でももう凹んでしまったんだから仕方ない。

        道幅は十分広いと思ったのですが、実は左の路肩はちょっと低くなっていて、しかも柔らかい土だったのです。 それがこの雨で緩んでいて、フカフカになっています。 一面の落ち葉で覆い隠されていたため、これもまたバックミラーとリヤカメラではまったく気がつきませんでした。

        さて、後退できないなら前進しかありません。4WDエンゲージ、デフロック、Dsモードで1速固定発進。D:5の底力を見せるときが来た。

        が、まったく前進することができず、車両は頭をさらに左に振ってしまいました。 いまや右前輪も路肩を外れて、柔らかい土に埋まり始めています。 しかも今度は、車両直前にも立ち木! 直進前進は不可能。 前輪を右に切って前進するしか手がなくなってしまいました。 が、それを試せばますます前輪は左に落ちこんでしまいます。 ASCを切ってみても、何をしても、ダメ。万事休す!

        転落の危険はないので、車を降りて一服し落ち着いてみるのが最善です。 もう遅いけど。 そんな、まさか! 最新型のデリカがこんなところで!!

        こんな路面でも、オールテレインタイヤを履いたスターワゴンだったら、4WD LOレンジに入れれば間違いなく脱出できたはずです。 ゆっくりと、でもしっかりと。 しかし今 D:5が履いているのは、BF Goodrich AllTerrain T/A KOではなくて、新車装着純正の薄っぺらい18インチロードタイヤ。 硬質路面ではいい感じでしたが、軟質路面では文字通りまったく歯が立たないのです。 ここに来るまでのラフロード走行の快適さと、目の前の現実の差はあまりにも大きく、にわかには信じがたいのですが…事実は事実。 いまやD:5は、ノア・ヴォクシー・ステップワゴンになり下がってしまったのです。 デリカなら、もう一歩踏み込める。でも、二歩は無理だ。

    脱出作戦

        10分ほど、車両と路面の状況をよく調べ、作戦を練りました。 ステアリングを大きく右に切って後退すれば、リヤは切り株をかわせそうです。 そのままだと今度は切り株がボディ左側面にぶつかってしまうから、 50cmほど下がったら今度はステアリングをすばやく大きく左に切ってボデイサイドを切り株を避けながら下がりつづければいい。 うまくいけばほんの10秒かそこらで車両は本来のしっかりした路面の上に戻せる。

        いま硬い路面の上に残っているのは右後輪だけ。 1輪だけでは4WDといえどもさすがに動けません。 が、深く土に埋もれてしまっている左後輪を持ち上げ、下に石を敷き詰めてやれば、後輪のトラクションは得られるはずです。

        この一帯は当然のことながら携帯電話はつながりません。 かろうじて基地局と接続できるいちばん近い稜線がどこかはわかっています。 そこまでの経路距離は約4km。上り坂なので歩いて1時間20分くらいかかりそう。 電話で助けを呼んで、いちばん近いJAFのサービス基地からここまでどうみても1時間30分はかかります。 いまは1930時ころに暗くなってしまうので、暗くなるまでに救援に来てもらうなら現地1600時がタイムリミット。 あと4時間あります。 いますぐにあきらめても、救援が来るまで少なくとも3時間はかかります。 ならば、2時間30分ほど努力をして脱出できればそちらの方がよさそうです。







    土木作業

        ハイエースには油圧フロアジャッキを積んであったのですが、 デリカは狭いので荷物は最小限にしてしまいました。 やむなく純正のパンタグラフジャッキを使います。 大きくて平らな形をした石を置き、左後輪をジャッキアップ。 ジャッキのストロークの3分の1程度は下の石が柔らかな土に埋もれていってしまうので少ししか持ち上げられません。 あたりからこぶし大以上の石を集めてきて、浮いたタイヤの下に敷きます。 いったんジャッキを降ろして、ジャッキの下にさらに石を敷き、より高く持ち上げられるようにして、繰り返し。

        サスペンションアーム部を持ち上げられればいいのですが、そこにはジャッキを入れることができません。 しかたなくボディを持ち上げますが、デリカのリアサスは伸び側ストロークも大きいので、 なおさら1回あたりに敷き詰められる高さも制限されてしまいます。 ボディがそれなりに持ち上がってきたので、ジャッキでタイヤを浮かせたままいったん先ほどまでに敷き詰めた石をすべてどかし、 30kgはあろうかと思われる大きな石 --- ほとんど小さな岩と言ったほうがいい --- に置き換え、さらに作業を続けます。 おそらくジャッキアップを7〜8回繰り返し、あたりのめぼしい石をほとんど使いきって、土木工事完了。 いまやデリカの後部はほとんど水平になりました。 タイヤがしっかりグリップするように、敷き詰めた石が崩れないよう、 またタイヤが動き出した直後もしっかりグリップするようタイヤの転がる先までも石を敷き詰め、万全を期しました。 前輪周りも整地し、なるべく抵抗が少なくなるようにしました。

        もともと汗っかきなうえにこの力仕事で汗びっしょり。 えらく脱水してしまい飲み物が欲しいのですが、すぐ家に帰るつもりだったので食糧・飲料水とも全くなし。 ハイエースにいつも積んであった非常用ミネラルウォーターも今はありません。 意識が薄れてきたので、こりゃやばい。 仕方なく、コーヒーの空き缶をデリカの左フロントフェンダーのマッドフラップ下に置き、雨水を集めました。 折からの小雨はデリカのルーフをつたい、下がっている左前ボディに流れ、左前輪マッドフラップからしたたり落ちています。 空き缶はすぐさま満杯。 冷たくはないものの、甘い水。がぶがぶ何杯も飲みました。 雨水を集めて飲むだなんて何十年ぶりだろう。雨に感謝。でもこの雨がなかったらスタックなんかしなかったんだろうけど。






        さあ、いよいよトライします。 途中止まらないよう、一発で脱出できるように、動き出しとその直後の運転操作を5分ほどイメージトレーニングしました。 深呼吸し、ステアリングを右に切り、後退開始。 行くぞ!

        ぐいっと車両後部が下がり、頭が左を向きました。 うまい! すかさずステアリングを左に切って、今度は頭を右に振りボディ左サイドを切り株から離さなければなりません。 ところが、ボディの下あたりからゴツンという衝撃があり、それ以上下がれません。 し、フロントは右に振れず、なおも左に下がっていきます。 やむなく少し前進して、今度はもっと勢いよく下がります。 しかしまたゴツン! 後退のトラクションはしっかり出ているのですが、何かに引っ掛かってしまい下がれないのです。 ええっ、もう切り株は避けられたはずなのに。 もう一度トライしましたがやはり下がれず、しかも頭はさらに左を向いてしまい、 とうとう切り株に左ボディサイドが接触してしまいました。 なんてこった! 結局脱出できず、おまけに左スライドドアまでへこませてしまった!!

        半分泣きべそをかきそうになりながら車を降りて、ぬかるみに足をとられながら何に引っ掛かって下がれないのかを調べました。 車体はいまや道路に直角に近いところまで向きが変わっていて、 後輪は左右とも固い路面の上にあります。 反面、前輪は左右とも雨でグチャグチャの泥の中。 それでも、センターデフロックした4WDなら脱出はできるはずなのに、どうして? 何にひっかかっているんだろうとボディ下を覗いて… そんなあ!!!!

        誰もいない山の中ですが、たぶん大声で叫んでしまったのだろうと思います。 左後輪を持ち上げるための基礎として運んできて埋めた30kgはありそうな岩が、ボディ中央真下で引っ掛かっているのです!! 自分の知恵と工夫と努力のすべてが、今や私を裏切って、トラクションを得ることができたデリカを逃がすまいとしているのです。 強くなる雨ですっかりゆるんだ地面のうえに私は崩れ落ちてしまいました。

    悪夢だ。

        この岩さえどかせば脱出できる。 数分後、なんとか立ち上がって、第2ラウンドの戦いを始めます。 ボディ前半部をジャッキアップすれば岩をどかせられそうですが、 すでに土は降りしきる雨でものすごく柔らかくなっていて、ジャッキは地面に潜るのみ。 ボデイはまったく上がってくれません。 地面とボディ中央下端の間隔は10cm程度でしかなく、 岩を横から出すためには這いつくばった姿勢で大きなスコップでも使って土を掻き出すしかなさそうですが、スコップもなく、 手持ちの道具で試してみたもののまったく希望なし。 万策つきました。 もうすぐ1600時。 負けた。

    総員、退艦。








        デジタルカメラでMMCSのGPS測位座標画面を撮影しておき、 ジャケットを着込んで、幸いに一本積んであった傘をさして山道をとぼとぼと歩き始めました。 すでに4時間近く、食事抜きで重労働をした後なので、速く歩けません。 5月とはいえ標高1000m級の夕方にずぶ濡れで、しだいに寒くなってきました。 歩き始めて15分、 デリカからLED懐中電灯を持ち出すのを忘れてしまったことに気づきました。 いまから戻ることもできず大後悔。 デイパックの中にはLR44を使った小さなLEDポケットライトが入れてあったのでそれを使いますが、 路面を照らすほどの明るさはありません。 それでもないよりはずっとましですが。

        45分後に、携帯電話が使えるはずの稜線に到着。 よし、X01Tのアンテナアイコンから×マークが消えた。 発呼を試みますが、まだ安定してリンクを張ることができません。 さらに5分ほど、アンテナアイコンをみながら歩き、 基地局があるはずの方向を考えながら傘の骨をパラボラ代わりに使ったら、どうにか2D接続でかろうじて安定なリンクが得られました。 まずは第2研究所のヨメとポゴに自力で中央研究所に帰るように伝え、 ついでJAFに救援を要請。

        GPS測位結果をメモしてきたのは大正解でした。 それを伝えてもJAFサポートさんは 「でもそんなところに道はありませんが?」。 無理もありません。 一般の地図には掲載されていない道ですので。 救援が来るのにあと2時間はかかるとのこと。 地図に出ている道上のランドマークを伝えて、そこから南に進んでください、と依頼。 これで、ここに座り込んでいれば助けが来てくれる。 でも動かないでいると凍えそうなので、 ひきつづきとぼとぼと真っ暗になった雨の山道を歩き続けます。 ポケットライトの光はローソクよりもかぼそく、 もう足は棒のようになっています。 あと20分もすれば、たぶん暖かいコーヒーを売っている自販機があるはずなのだけど… そして、レッカー車が来てくれました。 ドロドロの恰好ですのでとにかく恐縮だったのですが、 助手席に乗せてもらい、現場に戻ります。 ああ、クルマってこんなに速いんだ。

        しかし林道はレッカー車には狭く、しかもすでに真っ暗になっていて雨で地盤が緩んでいます。 レッカー車なんてそう大きくもないだろうと思っていたのですが、 実際みるとたしかに幅はあるし重いし、サスペンションも硬くてショートストローク。 林道を歩くような速度で進んでいきます。 現場への道の入口で救援隊員さんは、 「この奥となると、レッカーでは無理ですね、二重遭難になってしまいます。 今日はそのままにして、明日車両2台隊員2人態勢で引き上げに来ましょう。 特殊救難車を出します。」

    2009-05-06 遭難


        翌日来てくれたのは70系ランクルベースの救難車。 「さあ、こいつなら大丈夫。今日は必ず引き上げて見せます。」 と、頼もしい隊員さんのお言葉。 90年代の四駆ブームのときは都会から来た初心者がこのあたりで踏み外すことが多くて忙しかったそうですが、 最近では出動要請が減ったというこの特殊救難車、隊員さんは 「いまは群馬支部にはこの1台だけなんです。 でもね、ナナマルはもう製造されていないでしょ、ナナマルに代わるクルマはないし、 いつまでこいつを使えるか」

        なるほどね、100系ランクルはアラブのお金持ちの砂遊び車だし、あんなのが日本の山で使い物になるわけがない。 今のSUVはほとんどすべて街乗り用だし。 それを本当に必要としているシーンがあり必要としている人々がいる以上、 トヨタは限定でいいからナナマルを復活させるべきだ。

    [後日追記] トヨタの英断に大拍手!

        支線入り口にレッカーを止め、ナナマルだけで進みます。 昨日はまったく問題なくD:5で入っていけた道は、一晩の雨ののちにさらにコンディションが悪くなっていて、 隊員さんは 「本当にこんなところに入っていったんですか?」 「今は雨でかなりぬかるんでますけど、昨日のお昼前はこんなにひどくはなかったんですよう」 ベースはナナマルといえど救助機材を満載した特殊救難車は車重も重く、 速度を落として進んでいきます。 二重遭難にならないよう、安全を確認しながら慎重に進む、 これはやはりプロの流儀なのでしょう。

        現場に着くと救援隊員さんたちは状況を観察して短く打ち合わせをし、 手際よく分担して作業を進めていきます。 ナナマルの位置を変えて停め、 「フロントを引っ張る必要がありますがそちらには救難車を入れられませんので、 立木を滑車にします。クルマに乗ってエンジンをかけ用意してください。合図しますから。」 ナナマルの電動ウインチが軽快かつ力強い音を立ててワイヤを引っ張ると、 D:5はあっさりと前進しました。 わけなく車体は路面の上に。 「すごい! ありがとうございます!!」

    2009-05-07 脱出復旧







        後日、保険会社から電話。 損傷した外装修理を保険を使って依頼したのですが、 リアハッチ損傷とスライドドア損傷は同一の事故によるものには思いにくい、別の事故ではないのか? そうだとすれば保険の取り扱いが違ってくる、とのこと。 幸い、このページに示しているように写真が撮ってあり、 NoobowSystems事故調査委員会の調査報告書 が途中までできていたので、これに説明を加えて電子メールで送信。 「なるほど大変よくわかりました」 と。





    2009-08-12 サブバッテリシステム

        デリカD:5購入理由の一つが純正でサブバッテリシステムを持つことでした。 ディーラーオプションでしたが、キットとしても楽しもうと思い取り付けは自分でやることにしました。 もちろん工賃を浮かす狙いもあります。

        ところが、車両と一緒に納品されたサブバッテリシステムの取付説明書を読んでびっくり。 なにしろ作業手順の第一項目が、運転席・助手席のシートを外し、シート周りとインパネの大半の内装を外せ、というものなのです。 こりゃあ時間がかかりそうだ。どうりでセールスさんに「自分で取り付けます」と言ったらほっとしたような顔をしたわけだ。
    新車のインパネを素人分解して傷をつけてしまうのもいやだったし、だいいち不慣れな車両での作業ですから丸1日はかかるかも。 取り掛かる勇気と時間がないまま9ヵ月以上が経ってしまいました。

        新車に傷をつけるのは忍びない、という気おくれは落輪事故による損傷とその修理によって払拭されました。 走行距離も1万kmを超え、車室内のレザーの香りも薄れてきたし、新車を楽しむのはおしまい。 そこで、2009年の夏休みの宿題として、いよいよ本日作業開始。

        午前10時半から始めて、途中1時間30分ほどお昼休み。 午後4時の時点で…説明書で指示されている内装とシートの取り外しと、フロアマットの清掃までしか行きませんでした。 全工程の1/3程度しか進んでいません。 整備解説書はないので、内装取り外しはやりかたを見つけるまでは施行錯誤です。 つぎからは3倍以上の速度で作業できると思いますが。 もっとも、暑くて1時間作業・30分休憩のペースだったので、遅いのも当然です。

    2009-08-12 サブバッテリシステム取り付け 第1日 内装とりはずし

        サブバッテリシステムの取付作業をしばらく躊躇していたもうひとつの理由は、ワイヤーハーネスの配索作業。 なにしろ、車両装着ハーネスのコネクタからピン抜きを行い、配線を変更する作業があるのです。 ETACS ECUのコネクタ、AC100Vインバータ、そしてオーディオパワーアンプの3ヶ所。こりゃあ経験のない一般人ができる作業じゃないな。 サブバッテリシステムのメインハーネスを成型フロアカーペットの下に這わせ、指定通りに接続作業を進めていきます。
        コネクタのピン抜きは予想通り難航しました。 私はその昔新入社員だった頃、一日中コネクタのピン抜きをやらされたこともあり、初めての作業ではないのですが、そのころも決して上手ではありませんでした。 それぞれのコネクタに専用設計されたピンリムーバを使うならまだしも、精密ドライバだけでピン抜きするのは大変です。 簡単に抜けたのは3本かそこらで、あとはなかなか抜けません。 特にETACSコネクタのピンはちっとも抜けず、断念してワイヤを切り、直接つないでしまえとはんだこてと収縮チューブを用意しました。 どうせ切ってしまうのだからと、ラジオペンチも使ってワイヤを引っ張ったら、ピンが抜けました。 同じようにほかのピンも試したらすべて抜くことができ、結果としてはんだこては使わずに済みました。 ラジオペンチで引っ張るのは芯線にダメージを与えてしまうので最後の手段でしたが、結果なんとかなりました。

        ETACS接続の部分は、どうにも説明書と現物が一致しません。 熱でアタマがボケているのかと思い、冷房の効いた部屋でしばらく休んだのちに冷静にマニュアルを読むと…やはりサブバッテリシステムメインハーネス現品は取付説明書の記述と少し違います。 説明書の記述ではアクセサリハーネスなるものがあって、メインハーネスの1極コネクタを2極コネクタに変換してくれるのですが、 メインハーネス現品では当初から2極コネクタがついています。 アクセサリハーネスを廃止して簡素化+コストダウンするためでしょう。 あるいはD:5初期型用との相違の部分かも(推測)。いずれにせよ、それがわかればあとは大丈夫。

        ようやくハーネス配索が終わり、次はいよいよサブバッテリの取付け。 スチールでしっかり作られたサブバッテリケースの組み立ては楽しく行えましたが、 21kgあるサブバッテリアセンブリをシャーシ下に取り付ける作業はひどく難儀しました。 さすがに一人作業ではつらく、ヨメとポゴにもツール渡しを手伝ってもらいました。 コンクリートブロックと厚い電話帳を使ってサブバッテリアセンブリを持ち上げ、どうにか取付けられました。 キツかった〜! 肉体的にも衰え始めていることを実感。

        すべての配線が終了。 メインバッテリを接続し、メインキーOFFのままインパネのサブバッテリスイッチをON。MMCSが立ち上がりました。できた!!

    2009-08-13 サブバッテリシステム取り付け 第2日 ワイヤリングとサブバッテリ取り付け

        各部を清掃しながら内装を復旧。 注意して行いましたが、やはり細かな傷や手を入れた形跡は感じられます。 まあいいや。これだけ作業をすれば、自分の車になったという気がしてきます。

        サブバッテリの取付け方法は車両から取り外して充電することも考慮されていますが、 車の下にもぐって21kgを腕力で持ち上げる作業などそうそう行いたくありません。 基本的には走行中に充電されますが、外部電源からの充電や、電圧チェックが簡単にできる方法をそのうち考えることにします。

    2009-08-14 サブバッテリシステム取り付け 第3日 内装復旧

        向井千秋記念館まで、往復で2時間ほど高速道路を走行。ひとまずサブバッテリに充電できたかな。 走行中、あれ? と気がつきました。運転席シートベルトバックルスイッチのコネクタをつなぎ戻したっけかな? インパネには故障表示らしきものは出ていません。 バックルスイッチがつながっていないのなら、エアバッグECUがバックルスイッチ断線故障を表示しそうですけど。 それともD:5のバックルスイッチはシートベルトリマインダだけに使われていて、 エアバッグの展開制御には使われていないんだろうか。 それなら…ほっといてもいいや。 そういえば運転席シートにはシートトラックポジションセンサもついていなかったっけ。 シンプルな分シート取り外しは楽でしたが、一時代前のシステムでしかないようで、ちょっとがっかり。

    2009-08-15 配線忘れに気が付く












    平穏な日々


        ウインドシールドにピンクラックが入ってしまいました。飛石かな?

    2009-08-18 ウインドシールド ピンホールクラック

    2009-10-10 タイヤローテーション 14024km

        1年点検は三菱ディーラーに。オイル交換。 運転席バックルスイッチコネクタは外れたままでした。 ここは点検しなかったのかな、それとも気がついたけど気を利かせて、なのかな。

    2009-11-xx 1年点検

    2009-12-20 スタッドレスに入れ替え 15302km 2シーズン目のGeotrek

    2010-02-21 フリーサイズフロアマット購入

    2010-03-07 オイル交換 17770km

    2010-03-14 リヤフロアマット製作

        まさか4月16日に雪が降るなんてまったくの想定外でした。 どこに出かけたわけではないのでどうでもいいのですが、箱根あたりではチェーン規制が出ていたようで、苦労した人も多かったのでしょう。 というわけで夏タイヤ。まだ将来に関する懸念が払拭できていないので、純正の根性なしタイヤを使います。 18インチの薄っぺらいタイヤになったら見た目もぐっと軽薄になります。 ここ数週間かなりの鬱状態が続いていて元気がないので、タイヤハウス内側の清掃はせず。

    2010-04-18 タイヤ交換 19163km

    2010-09-04 エンジンオイル&オイルフィルタ交換 23751km








    2010-10-03 ぶどう峠

        八ヶ岳の山の中の小さなギャラリーで開催されているグラスアーティストの個展を観に行きました。 富岡-八ヶ岳間のルートはいつも悩みます。 国道254号あるいは上信越道で佐久に出て国道141号を南下、が一般のルートですが、 休日昼間の国道141号はいつも流れがトロくて退屈この上ありません。 なので行きはたいてい臼田から松原湖までは千曲川右岸の道を使います。 退屈はしませんが狭くてスピードは出せない道ですし、 海尻から南では結局141号に乗って、上り坂なのにアクセルペダルを踏めないサンデードライバーの安全運転にお付き合いします。

        今回帰りはぶどう峠経由。 遅い車にイラつくことはなく楽しめますが、 かなり遠回りになってしまい、 時間的にはかなりのロスです。 D:5でぶどう峠を越えたことはあったっけ? 最近ポゴはぶどう峠群馬側下りのようなツイスティなワインディングでもリアシートに横になってグウグウ寝るようになってしまいました。

    2010-10-03 ぶどう峠





    2011-01 週末専用車に


        勤務地がとうとう通勤圏外に移転。 世界規模での産業構造の変化によるものですからこれは人生として受け止めるしか。 諸般の事情から転居するのは受け入れがたく、 でも近場にいい勤め先が見つかるようでもなく。 いろいろと思いめぐらせ計算して評価した結果、 第3研究所を開設することに。 新研究所立ち上げには引っ越し業者は使わず、D:5を3回往復させただけ。 往還機としてティーディを導入し、 D:5は週末ファミリーミニバンとなりました。

        第3研究所が稼働開始して間もなくの東日本大震災、 その後しばらくの電力不足・燃油不足、 さらにはファミリー・エマージェンシーと、 2011年前半はあたふたが続きました。


    2011-06-25 KOS BEAN バッテリ交換

    2011-08-18 白馬・栂池・黒部ダムツアー

    純正MMCSナビゲーションシステムは快調ですが、 地点登録をしようとしたらメモリがいっぱいですとのエラーメッセージ。 あれま、1994年頃のシステムならまだしも、2006年の設計で地点登録件数がたった100件だなんてショボいなあ。 せめて最大1024件くらいは登録できてほしいよな。 夜の環8世田谷で多重衝突事故の渋滞に巻き込まれしばらく進めませんでしたが、その間登録地点メモリの整理を行うことができ、 退屈せずに済みました。 USBやSDカード等で登録情報のバックアップ・オフライン編集や走行ログの保存などができればいいのにね。 それとも今後も純正品ではそういうパワーユーザ向けの機能は入れてくれないかな。

    2011-09-18 登録地点メモリ

        早いものでもう3年。走行3万6000km。1ヵ月1000km、平均的な数字です。 今年に入ってからは第3研究所が設立され、常用車両はTDM850になって、D:5は週末しか乗らず。 遠出したのはせいぜい新潟とか黒部とか。夜の林道ツーリングには一度も出ていません。

        車検整備に当たって特に問題となるところはなく、オイル交換・オイルフィルタ交換とリヤワイパーゴム交換くらいのもの。 3週間前に壁にこすってしまい地金まで達してしまった左リヤフェンダーの傷の板金塗装とポリマーボディコーティングをいれて16万円超。 さすがに外装は新車同様の輝きになりました。納車後、内装清掃とエンジンルーム目視点検。今回はポカミスはなさそうだな。

        純正タイヤは残り3分といったところ。来年の7月にボーナスで17インチの新品ホイール・タイヤセットを入れるようだな。

    2011-11-12 車検 (1回目) 36308km 82638円

  • エンジンオイル交換
  • エンジンオイルフィルタ交換
  • ブレーキフルード交換
  • エアコンフィルタ交換
  • リヤワイパブレードラバー交換

  • 2011-11-12 左リアクォーターパネル塗装 85800円





    2012-02-19 オーディオ プリ ブースタ


        センターコンソール背面のアナログAV入力のオーディオ入力に Toshiba X01T のヘッドフォン出力を直接つないだのでは音量不足になるので、 センターコンソール内部にプリアンプを入れることにしました。 シンプルなエミッタ共通増幅回路の勉強がてら、手作りで。 この プリアンプの製作記事はこちらのページ で。







    2012-05-13 バッテリ上がり


        週末に単距離走行のみ、ゴールデンウイークも出番なし。 ほとんどモーターサイクル整備の工具箱のようになってしまっています。 本日遅いタイヤ交換。 その後買い物に行こうとしたらなんとバッテリ上がりで始動できず。 ファルコンからジャンプしてスタート。

    2012-05-13 タイヤ交換
    2012-05-13 バッテリ上がり







    2012-12-16 法定12ヶ月点検 42558km 26000円

  • エンジンオイル交換
  • エンジンオイルフィルタ交換
  • ハイマウント右側ランプ交換
  • バッテリテスト 規格520CCA 実測499CCA




  • 2014-03 直島ツアー



    2014-03 直島ツアー







    2015-01-10 キーフォブ バッテリ交換


        6年経過、電池寿命になっても不思議ではないです。 キーフォブ電池を新品に交換。 しかし新品にしたはずなのに、ときおりインパネのディスプレイにキーフォブ バッテリロー警告が頻繁にでます。 動作しているからほおってありますが。

    2015-01-10 キーレス バッテリ新品交換 CR2032




    2015-06-28 バッテリ交換


        すでに4年6ヵ月、完全に週末専用車になってしまっています。 その週末も、走行しない時も多いです。 バッテリのSOCはどうしても低めになりがちで、寿命にも悪影響があるでしょう。 実際に今回、バッテリ上がりで始動不能に。 そうか、ここのところ先週末も走行せず、だけどTDM850の整備のために長時間ドアを開けていたから、 ルームランプなどでバッテリが上がってしまっていたのか。 ファルコン号からジャンプして始動。

        第2研究所までの走行による充電で、再始動は軽くセルが回るようになりました。 バッテリはまだ使おうとすれば使える様子。 しかしSOCが保てていたとしても、新車で購入後6年経っていればバッテリを新品交換しても全く変な話ではありません。 ので途中でバッテリを買い求め、 第2研究所で交換作業を行います。

        バッテリバックアップ維持などの小賢しい技は使わず、普通に交換作業。 バッテリトレイやその周辺など、ふだん手が届かないところをちまちま雑巾拭き。 新品バッテリは購入直後も高いSOCを保っていて、 セルモータはさらに軽く回るようになりました。

    2015-06-28 バッテリ交換 Bosch Hightech Premium HTP-Q-85/115D23L 56564km

        バッテリ上がりと関連があるとは思えませんが、前席のマップランプがひとつ切れてしまいましたので、 LEDランプに交換します。

    2015-08-xx マップランプ交換
    • T10-31 IPF XR-16 2個 3LED 45lm 6700K DC12V 0.4W 日亜製チップ
        切れているD席側ランプだけ交換したのですが、 P席ランプもさほど経たずに切れ、どこぞの駐車場で交換。







    2015-08 北海道ツアー

        夏休みはD:5で12年ぶり11回目の北海道へ。

    2015-08-06 〜 08-13 北海道ツアー

    2015-08-06 船内泊
    2015-08-07
    2015-08-08
    2015-08-08
    2015-08-09
    2015-08-10
    2015-08-11
    2015-08-12
    2015-08-13

  • #01 張碓峠 [おそらく再] (第2日)
  • #02 小峠 (夕張) [初]
  • #03 楓峠 [おそらく初]
  • #04 幌毛志峠 [おそらく初]
  • #05 義経峠 [おそらく再]
  • #06 桂峠 [おそらく初]
  • #07 日勝峠 [再]
  • #08 白樺峠 [再]
  • #09 幌鹿峠 [再] (第3日)
  • #10 芽登坂 [おそらく初]
  • #11 玲瓏峠 [初]
  • #12 本別大坂 [おそらく初]
  • #13 馬主来峠 [おそらく初]
  • #14 仮監峠 [おそらく初]
  • #15 達古武峠 [再]
  • #16 鶴見峠 [再] (第4日)
  • #17 足寄峠 [おそらく再] (第5日)
  • #18 茂足寄上螺湾線の峠 [初] (無名だがカウント)
  • #19 カネラン峠 [再]
  • #20 池北峠 [おそらく初]
  • #21 曲り沢峠 [再]
  • #22 石北峠 [おそらく再]
  • #23 越路峠 [初]
  • #24 伊野沢峠 [初]
  • #25 深山峠 [再] (第6日)
  • #26 千望峠 [おそらく初]
  • #27 文殊峠 [初] (第7日)
  • #28 毛無峠 [おそらく初]
  • #29 朝里峠 [おそらく初]

  •     地図に記載もなければ標識もないため過去10回の走行で通っていながらもそれとは気づいていなかった峠もありますし、 ファーゴ1号・ファーゴ2号・スターワゴンで気ままに走っていたときは通ったルートすら記録しておらず、 自分の北海道の地図には越えたことがあるのかどうか釈然としない峠がたくさんあります。 来年は特別休暇でもいただいてティーディでサロベツに行けるだろうか。



    Roads in Hokkaido have been improved greatly in these 30+ years. An unfamous Kaede pass was at the peak of backcountry highway, which is now totally abandoned after a new wide road opened.



    Another unfamous Reiro Toge was also clean, quiet low pass. Delica D:5 with BF Goodrich All Terrain A/T KO tires provided pleasant time of hi-speed off road cruising.



    It was perhaps year 1993 or 1994 when I first reached this Tsurumi Toge, with Kawasaki KDX200SR. The Tsurumi Toge road was wider and well serviced than 20 years ago but still unpaved. Delica D:5 ran nicely and smoothly; a sliding tail due to a little overspeed was instantly corrected by the ESC before the driver's countersteering reaction.



    Our tour route was planned, as always, by connecting mountain trails and passes. Reached the peacefully quiet Magarizawa Toge, wondering if this was the first time to visit here.



    At the exit of Magarizawa Toge trail I saw a sign of "Rubeshibe No.52 Trail", with a strong sensation of deja vu.



    Quickly opening the Noobow7300 laptop computer I found I had visited here 32 years ago, in 1983, on XT400. Found this was my second time of reaching Magarizawa Toge.



    I also remember this "Kitakitsune Farm" near the No.52 trail entrance. The souvenir shop with restaurant was, I recalled, very crowded with travellers when I visited here on XT400. But now we were the only visitors.
    The shop master welcomed us with a very much happy face, saying we were the first customers of the day --- although it was already 1 P.M. on the "highest peak day" of the summer vacation week. Newly opened expressway completely took away the travellers from this highway which does not provide any other tourist attractions.
    The shop was already in a miserable condition. Full of souvenirs were covered with dust, and most of them were in obsoleted styles. We bought some hand-crafted cute foxes, talked with the shop master, shared the sympathy for the time going by. This shop will dissapear from the tourist map next year, and I felt reliefed I could visit here before that.



    Biei and Furano was always in our Hokkaido itinerary, and were beautiful as they were before. While we enjoyed much, we were surprised to see these tourist spots were filled with Chinese travellers. We saw and heard few Japanese.
    It was quite an shocking thing to us. Japaneses can no longer spend money on vacation... Meantime we must thank these Chinese travellers; these wonderful sightseeing spots would also be deserted without their visit.


    2016-04-24 右後輪クリップボルト


        BF Goodrich Radial All Terrain AT-KOに入れ替え。 ポゴの作業ミスで曲がってしまった左前輪のクリップボルト1本は車検時に交換されて新しくなっていましたが、 今度は、あれっ、右後輪の1本が緩められない! 困ったな、もう一度スタッドレスに戻すのも面倒だし、1輪だけスタッドレスのまま近くのショップにでも修理を依頼するようか。 でも隙間に5-56を注入しながら無理やり緩め、取り外すことができました。 ボルトのスレッドもナットのスレッドも無惨に傷んでしまいました。 再締め付けはできたものの、 本来あるべき軸力は出せていません。 そのうちショップに持ち込んでボルトを交換してもらおう。

    2016-04-24 タイヤ入れ替え クリップボルト破損







    2016-06-11 バッテリ補充電


        なんかこの1ヵ月まるで走らせてない気がします。 バッテリSOCが心配。 エンジンがかからなくなるほどまででなくても、 低SOCではバッテリの寿命に大きな悪影響をおよぼします。 だめになっちゃったらせっかくのボッシュ・ハイテック・プレミアムがもったいない・・・。 ので、ファルコン号のバッテリ交換の時に一緒に買っておいた新型バッテリチャージャ、 大自工業PCX-2000を本日初使用。

        昔のバッテリチャージャと違ってスイッチング電源らしく、匡体は軽量。 7セグメントLEDでバッテリ電圧・充電電流それにSOCを%表示で示してくれます。 もちろんSOCの表示機能などはアテになるはずがないことはわかっていますが、 わざわざポケットテスタを持ち出さなくても端子電圧と充電電流が読めるというのはとても便利です。
        定電流制御時のCC設定値は4段階 (2/4/6/8A) に切り替え可能。 フロントパネルでは一般ユーザにわかりやすいように「オートバイ/軽自動車/普通車/普通車2000cc以上・トラック」 と表示されています。 セルスタート能力はありませんが、昔のチャージャに比べて高機能、 基本に忠実な質の良い充電を行ってくれそう。

        D:5のバッテリは端子電圧12.4Vまで落ちていました。 まあこれだけ出ていれば寿命への影響の心配はまだないでしょう。 チャージャをつなぐと、チャージャ内蔵のクーリングファンがフォーンと回り、 13.3Vで8A以上を流し込んでいます。 やっぱりけっこうオナカすかしていたんだな。 その後の充電はチャージャにおまかせ。 充電電流が下がると冷却ファンは止まり、終末期は端子電圧14.4Vで静かに充電がつづき、 4時間ちょっとでLEDが"End"を表示して充電が完了しました。

        ついでにファルコン号にも試してみましたが、 チャージャを接続してすぐに"FUL"表示。 ごく短距離のお買い物ユースがメインとはいえ、1ヵ月ほったらかしということはないので、 SOCは保てているようです。

    2016-06-11 バッテリ補充電

    2017-04-09 フロントワイパーブレード交換 2268円+1296円




    2018-03-31 家族旅行


        春休みにはどこか連れてってよ、福島がいいな、というポゴのリクエストを受けて一泊の家族ツアーに出かけました。 昨年10月に腰椎側弯による神経損傷でまともに歩くことができなくなって以来、5か月ぶりのお出かけです。

        今回は被災地を見てみたいというのがポゴの希望。 物見遊山するつもりはないけど、一度は見ておかなければならないという責務感を覚えるから、とポゴ。 ささやかでも被災地にお金を落とすのは悪いことじゃないよね、とママも。

        まずは北関東道から常磐道につなぎ、20km圏内を北上します。 昨年2017年07月にスズキVストローム1000で岩手ツアーに出かけたとき、ここを通過しました。デリカD:5で通るのは初めて。

    「ほら見えた、あれがいちエフ。」

        高速道路わきに設置されたモニタリングポストの空間線量率表示は、去年とほぼ変わらず、いちエフにも近いポストでの測定値は3マイクロシーベルト毎時とちょっと。 もはや心配するようなレベルではありませんが、しかし自然のままの数値ではなく、起きたことは明白。

        浜通りには家族旅行向きの宿はなく、今夜は福島市の西にある高湯温泉。 初日はゆっくり家を出たので浪江で降りて宿に向かうことにし、国道114号で浪江から川俣に抜けます。 この地域では羽附峠・いちづく坂峠・陽の出石峠・笹峠が未到達なのですが、今回は家族旅行なので峠越えは経路上に限ることにして、またの機会に。もっとも国道114号が被災地の内陸接続ルートとして解放されているのみで、県道や主要地方道は軒並みゲート閉鎖されている状況。 20km圏外だとはいえ自由に旅を楽しめるようになるのはまだ先な様子。 それに・・・ 国道沿いに点在する民家はいずれも入口がバリケードで閉鎖されていて、住民が戻ってきていないことを示しています。

        さて2日目はどこに行こう。 ポゴはひきつづき被災地を見てみたいと言います。 それならば私的には南三陸に行って未希ちゃんにもういちど手を合わせたかったし、 北上川河口のあの校庭で決断とリーダーシップの大切さを語って聞かせたかったのだけれど、 牡鹿半島までは距離がありすぎたので今回は見送り、代わりに南相馬に行くことにしました。

        建設が進む東北中央道の入り口標識を見ながら国道115号を東に進み、浜通りに戻ります。 途中佐須峠に立ち寄り、霊山脇を抜けて相馬に入り、海沿いの原町海老相馬線に入りました。 途中寝てしまっていた後部座席のポゴをヨメが起こし、

    「ほらポゴ着いたぞ、被災地」
    「え? なんにもないじゃん」
    「そう、いまはぜんぶまったいらのサラ地になっちゃった」
    「」

        まだ多少のがれきが残っていた3年前と違い、ここをはじめ多くの場所で整地作業が完了し、ただ広い、何もない空間になりました。 でもほら、あそこに。

        相馬市慰霊碑は、その碑が建つ磯部地区で231人、相馬市全体では438名が犠牲になったことを記していました。 碑の裏面には亡くなった方のお名前。

    「おじいちゃん・おばあちゃんが多かったみたいだね」
    「もともと若い人は少なかったのだろうけど、逃げようにも逃げられなかった人も多かったんだろうなあ」

        南下し、南相馬市に入ります。2006年の合併で生まれた南相馬市、私にとっては原町と言われた方がしっくりきます。 初めて原町を通ったのは1986年、スズキRH250でした。 原町火力の脇まで来ると、ここにも慰霊碑。原町火力のある金沢地区での犠牲者は7名。 その金沢地区慰霊碑のわきの草むらをヨメがのぞき込んでます。

    「なにがあるの?」
    「これ」

        それは無造作に地面に横たわる、平成9年圃場整備事業完成の記念碑でした。 多大な労力をかけ整備された圃場。太平洋を望む美しい地でのこれからの豊穣を願う碑文が刻まれています。 その記念碑はおそらくバックホーで無理やり土台から取り除かれ、打ち捨てられ、そして土台の上に新しい慰霊碑が取り付けられたのです。

    「こういうことなのね」
    「そういうこと、らしいね」

        そんな郊外の、ほかには文字通り何もない道路沿いに、なぜか突然ケーキ屋さんが1軒。 辺鄙なところばかり走る我が家のツアーは、ときおりこんな宮沢賢治の本に出てきそうな、 キツネかタヌキが経営しているのではないかと思うばかりのすてきなお店に出くわすことがあります。 今回は被災地にささやかな支援などと言いながら、地元農家さんの朝摘みいちごたっぷりのケーキでティータイム。

        ケーキで幸せになったのち、南相馬の中心部、原町の中心街へ。 ここに昔あった原町無線塔を見るため。

        白状すると実は前夜まで知らなかったのですが、 1921年(大正10年)に完成した全高201メートルのコンクリート製自立アンテナタワーである原町無線塔は、当時アジアで最も高い建築物でした。 国際無線通信を取り扱っていた船橋無線局の能力が不足となり、 当時の技術では混信を防ぐために船橋から少なくとも120マイル離れたところでなくてはならない等々の理由で、 原町に巨大なアンテナタワーを建てることになったのです。

        1923年(大正12年)の関東大震災では帝都陸上の通信施設は大きく被害を受けました。 まだ無線設備をもつ船舶は少なかったなか、横浜港停泊中のこれあ丸が地震発生を打電し、横浜市街が火の海になっていることを発信。 それを富岡受信局で受信した磐城無線局は原町送信所の201メートルアンテナから世界中に向け打電。 すぐさま世界中の国に知れることとなり、アメリカをはじめ世界中の国から義援金等の支援をいただけたとの由。

        1920年代の無線は、アーク式高周波発生器による長波帯の無線電信。 電波の波長は長ければ長いほど遠くに届くと信じられており、そのために巨大なアンテナタワーと強力な高周波発生器が使われていました。 その頃「邪魔な素人無線家は長波を使うな、使い物にならない短波帯で遊んでいろ」と、 アマチュア無線は波長200メートル以下の(周波数1.5MHz以上の)、荒れ果てた、誰も住んでいない未開の領域に放り出されてしまったのです。 しかしそこでアマチュアが見たものは、たかだか数本の真空管と数10フィートのワイヤーアンテナだけで地球の裏側が聞こえてくる、摩訶不思議な世界。 やがて空高くにはヘビサイド・レイヤーと呼ばれる電離したイオンの層があり、 波長の短い電波はこれに反射して見通し距離をはるかに越えて地球の裏側にまで伝わるということが明らかになると、 無線通信は一気に短波による長距離通信の時代になります。

        そして、これからの新しい日本を象徴するかのような威容を誇っていた原町無線塔はあっというまに文字通り無用の長物となり、 運用開始からわずか10年の1931年に閉局。 時代は短波による国際通信に移りました。

        その後いろいろな用途に転用されたものの、 最終的には原町の町民にとってのシンボルとしての意義だけになっていた原町無線塔は1982年に撤去。 いまでは10分の1サイズの20m高のミニチュアレプリカが原町の道の駅の脇にモニュメントとして立っています。 写真は南相馬博物館に屋外展示されている、原町無線塔の頂部にあった滑車アセンブリの実物。 直径1mほど。タワー頂上から周囲にちょうど傘の骨のようにワイヤーを張るための部品。 これから関東大震災のニュースが世界に発信されたのか・・・。

        さーて南相馬を離れて帰投ルートに。 帰りは国道6号を使います。 常磐道と同様に20km圏内を貫通するこの道は、2014年から一般車も通行できるようになりました。 が、いちエフにより近い (最近傍で2.3km) ため、歩行者・自転車そしてモーターサイクルはいまでも通行禁止。

        検問ポイントをすぎて帰還困難区域に入ると、国道はふつうの道路ですが、それに交差する道路にはすべてバリケード。 右左折する車はなく、国道に入ってくる車もありません。 そしてその道沿いの光景はまるで・・・

        ポストアポカリプス。

        商店とか民家とかオフィスとか・・・地方の町や郊外に普通に見かけられる建物やしつらえが・・・すべて無人、すべて放置、すべてバリケードとチェーンとロープで閉鎖。 新築開店してさほど経っていないと思われるレストランが草木に覆われ、 大手紳士服チェーン店の破れたガラスウインドウ越しに見えるハンガーにかけられた何十着ものスーツ・・・ 誰もいないばかりでなく、建物もまるで命を失い、時が止まっている。 これが、外部電力を喪失し非常用ディーゼルも止まってしまったことの結果。 あの日、ディーゼルが・・・ディーゼルさえ回り続けてくれていたら・・・。

        浪江・双葉・大熊を抜け夜の森検問ポイントを過ぎると、国道に出入りする交差交通が見られるようになりました。 1年前の2017年04月に避難指示がようやく解除され、住民が戻り始めた富岡町です。 カフェでも屋台村でも、どこかに立ち寄って軽食をいただき、ささやかに経済貢獻しようか。

        国道から富岡町中心部に入ってみたものの、しかし、営業しているお店はまるでなし。 住民が戻ってきているようには見えません。 これでは戻ろうとする住民も少ないだろうし、住民が戻らなければ商店も開かないだろうし。 津波で壊滅した三陸の町の、プレハブ仮設商店街や仮設屋台村で感じられた苦難を乗り越えようとする熱いチカラのようなものとは全く異質。

        でも最近ようやく再開した富岡駅の近くには新しいアパートが立ち並び、ショッピングセンターとコンビニが営業していました。 ここには人の暮らしがある。ただそれらはいちエフの作業員だったり、除染作業の人だったり、あるいは研究者の人々がほとんどと聞きます。 昔の町はまだよみがえっていないのだ、と感じました。

        楢葉から広野に入って20km圏内から離脱し、さらにいわきに入り、久ノ浜で海岸沿いの道に入り、海を眺められるカフェで早い夕食。 ここはきれいなところでしたが、それでも店内に貼られたピンナップ写真は、 ガラスウインドゥが壊されめちゃくちゃになった店内を記録していました。

        生粋のグンマ県人のポゴは海の景色をもっとたのしみたいふうだったので、そこから先も海岸沿いの道路を走ります。 ところが、新舞子海岸はたぶん昔は素敵なシーサイドルートだったのでしょうけれど、行けども行けども新しいコンクリートの防潮堤。 まったく海は見えません。 津波は素敵な海沿いドライブの楽しみも奪ってしまったのか・・・。

        小名浜を通り過ぎ、すっかり夜。 日立の手前の高萩で海岸線を離れ、ここからは西向きに進みます。 ほぼ交通量ゼロの快適な山間国道ルート。 八溝山地にはいままで来たことがないので、幹線国道ルートでしたが猪鼻峠・月居峠・境野明神峠・弥五郎坂でそれぞれ写真を撮り、今回ツアーでは新規に5峠に到達。 これで到達した峠の数は1169峠に。

        上三川で北関東道に乗って、あとは普通にオートクルーズを入れて。 帰投ルートの途中で通過した大子町がなんともいい雰囲気だったので、いつか大子温泉に入りに来ようか、などと話しながら帰宅。 群馬から茨城・東北方面へのアクセスを飛躍的に便利にしてくれた北関東道ばんざい!






















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    Feb. 23, 2013 Updated. [Noobow9100D @ L1]
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