明治末期まで、雄川沿いの道は通行が困難な場所が多く、特に轟と戦場の間は難所とされていました。
川沿いの日の当たる側は岩場だったので道は日影側につけざるを得ず、冬場は道は凍りつき、
荷をつけた馬が足を滑らせ川に転落し死亡するなど、事故などもしばしば起きていたようです (甘楽町史 p952)。
そのため秋畑の人々は戦場から枇杷ノ沢に出る雄川沿いルートではなく、
山越えのルートをとって富岡市街方面に出ることも多かったようです。
秋畑の中心部である梅之木平から北の裏根に出るときに越える峠、それが榎峠です。 明治30年に雄川沿い枇杷ノ沢-戦場間の開削工事が始まり、岩場を火薬で爆破し、 過酷を極めた人力工事によって明治42〜43年頃にどうにか荷をつけた馬が通れる程度の道が開通すると、 榎峠・ 大日峠 を経由する峠越えルートは急速に廃れていきます。
甘楽野今昔物語(かんらの むかしがたり) 深澤 武 昭和60年 あさお社 ISBNなし p195
甘楽町の峠路 より抜粋
地名が詳細に記載されている甘楽町一万分の一地図では、 大日峠 は記載されているものの、榎峠は示されていません。 昔のメイン・ストリートは、完全に忘れられてしまいました。 |
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地図を見ると、榎峠には車道は到達していないかも。
でも近傍車道から徒歩道ですぐに着けるはず。
しかし榎峠は、ラボからあまりに近いのでいつでも行けると思い、
気がついたら場所特定から2年がまるまる経過していました。
で、梅雨の土曜日の今日、一日空いたけど夕方には雨が降りそう。
遠くにはいけないし、もう山奥のヤブは元気過ぎるほど伸びているだろうし、
連日の雨で未舗装路はぐちゃぐちゃだろうし。
あ、じゃあちょろっと榎峠にでも行こう。
いのぶ〜
は洗車してあって泥で汚すのもアレだし、
昨日雨の高速道路を走って汚れている
ティーディ
で行こう。 6年ぶりに 峰峠 を越えて峯に降り、荻ノ久保から榎峠への細い急坂に分け入ります。 浮き砂・落ち葉・湿ったコケで路面は滑りやすいので低速で行かなくてはなりませんが、 ローギア2500rpmではトルクが不足する急坂。 半クラッチを多用しての登坂です。 すると、ほどなく峠に到達しました。 あれ、歩かず、着けちゃった。 峠はT字路になっていて、大小2つの馬頭観音の石碑がありました。 大きいほうは明治16年と刻まれています。 1883年。いまから132年前か。 そのころはこの峠を多くの人が行き来していたのでしょう。 峠が急速に寂れだしたのは、 雄川沿いの県道が開通した明治43年(1910年)。 もう100年以上、馬頭観音さまはひっそりとここに佇んでいたというわけですね。 峠には新しい賽の神さまの石祠もありました。 が、獣害防止柵の内側で、お参りはできず。 あっけなく峠に着いちゃったし、この先の道がどうなっているか見てみよう。 北側・・・裏根方面は車両で普通に通り抜けられる道はないはず。 行ってみると、ちょっと進んだところで道はとたんに藪漕ぎになりました。 TDMではとても無理。 その昔にこどもが学校に行くのに通った道は、いまやすっかりヤブに覆われています。 では峠から東に伸びる道はどうだろう。 ロードタイヤ装備のTDM850にはオーバーデューティ気味の尾根道を進んでいくとちょっとした鞍部に出て、 おや? ここにも馬頭観音の文字石碑がある。 こちらには「明治28年4月28日、佐島氏建」と彫られています。 はて、たまたまここで愛馬が死んだか、それともここも昔は峠として使われていたのだろうか。 ぱっと見に鞍部越えの道は見当たりませんが、 場所的に、戦場(せんば)の人が雄川沿いの道を使わずにここを越えて裏根に出るというルートが成立していてもまったく不思議はありません。 利用者数が少なく、名前も特に付けられず、地図にも掲載されず、 忘れられてしまったことさえ忘れられた峠なのでしょうか。 もし575.2峰の南西鞍部のここが峠であって、名前をつけるならば、 戦場峠 とでも呼ぶべきでしょう。 さて、引き返せるのが確実な範囲でもう少し進んでみよう・・・ しかしこれが今回の失敗。 馬頭観音さまからさらに東に高度を落としていく下り坂は、気がついたらUターンのための幅が十分とはいえなくなってきて、 路面状況も悪化。 下り坂の途中でティーディを停め、あるいて先を見てみると、左カーブを回り込んだ先でセロー級になっていました。 そこまでの間も道幅は大して変らず。 む、ここで引き返そう。 しかし道の傾斜は思ったよりもずっと急で、 しかも路面の表層下は連日の雨で軟らかくなっており、 ロードタイヤでは簡単にスピンしてしまいます。 5分ほど格闘して、ようやく反転できました。 さきほどまではゆっくりながら安定して下ってこられた坂道、 これが登りとなるとホイールスピンしてしまい簡単には登れません。 進路左寄りのほうが石が多く露出していてグリップが得られそうなのですが、 左はガケ。 バランスを崩して左に倒そうものなら愛車にアデューです。 しかし道幅右寄りは濡れ落ち葉が多く、どうにも登れません。 ホイールスピンのサイドスラストを使って車体を平行移動して少し左寄りに移動しました。 なんとか発進可能、でも数メートルでまたスタック。 発進・スタックを繰り返し、少しずつ登ります。 スピンのたびにリヤタイヤが左右に振れ、何回もバランスを崩す直前。 そのたびにむおおおおおおっ!!! ふんぬっっっっ!!!! と満身の力でマシンを支え、どうにか立ちゴケを防ぎます。 がんばれティーディ、あと15mくらいで坂が緩くなるぞ。 発進時にスピンしてリヤタイヤが左に流れ、路肩まであと15cm! 「ティーディ、だめっ!! そっちには行かないで!!!」 私の叫び声を理解したのか、リヤタイヤはぐっとグリップして車体が前進し、中央近くまで戻れ、急坂区間を脱出できました。 馬頭観音様まで戻ったときは全身汗びっしょり。 ふへえ・・・、もう今日は大満足だ。 峰峠から藤田峠岩染経由で戻って、いつものお店で飲み物飲もう。 |
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