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日本国内の他の多くの山間部と同様、この地にも弘法大師にまつわる伝承や由来を持つ峠は多く存在します。
ときにオカルト的要素を含むそれらの伝承は、おそらくさまざまな理由によって時とともに変化し、
またしばしば作為的なものが含まれているものなのでしょうが、
いっぽうでこれら人里離れた山の中で修行した者、あるいは旅した者がいたことを少なくとも物語っています。
しょせんは限りある命、
真理に至るのが無理ならばせめてそのおぼろな姿に気づきすこしでも近づきたい、
本当のクオリティを得られなくてもそれはいったいどのようなものなのかを知りたいと考える人々は、
ひとり静かに思慮をつづけ、そしてやがてはアレテーを得るようになります。
しかし歳を重ね功を積み周囲にすこしは認められる地位を得ると、
それに伴い発生するさまざまな責務が求道の妨げとなってくるものです。
山奥の古刹で役職として時を過ごすうち、
真理を求めていたつもりが気がつくと時の為政者から不条理なビジネスプランを押し付けられ、
不毛な効率改善計画を書かされることになるのかもしれません。
金と権力は忌諱するものでないにしても彼らにとっては追及するものではありませんでした。
肉体的労苦による修行を通じてではなくて純粋思考によって道を探ろうとしていた彼らに必要だったのは、
より深遠で広大な思慮にふさわしい場。
大半の人にとっては何の価値をも見いだせない、茅萱に覆われた名もない谷あい…
しかし穏やかで清らかな水があり季節の移り変わりを感じつつ時を過ごせる地こそ、
真理探究こそがわが道と考える人々が求めていた場だったのでしょう。
彼らはそして、峠を越えてさらに山の奥深くへ向かいました。
厭世のためではなく、自らの探究のために。
行政監督も弱ければ文書記録を残すような習慣もない最奥の集落よりもさらに奥を目指した彼らの入山は、
深い思慮を通じた真理の探究が目的であって、
しかしやがては里へ帰り世に徳をもたらすことが善と考えていたので、
それ自身が束縛となる永続的な住居施設を設けることはありませんでした。
そして彼らはローインパクトかつサスティナブルな生活を旨としていたようです。
そのため彼らが具体的にどのへんを生活の場・修行の場としていたか、
彼らの行動やさらには存在そのものを示す痕跡も記録も今となってはほとんど存在せず、
またかすかに残る伝承も真実というにはあまりに希薄。
この先確証を得られる期待はおそらくないながらも、
ありえた過去の夢物語として以下に書き留めておきましょう。
草爪峠 (くさつめとうげ)
修験者や旅人が時おり通ったという。由来不明。
峠を源頭とする沢ぞいには鉱泉がわずかに出ているところがあるが、いずれも単純アルカリ泉であり、
硫黄臭はないという。
よってクサツメの地名は、異臭を放つ湧水の意味ではないと思われる。
この峠道は、露出した地層の関係から路面は鋭利に尖ったこぶし大の石で覆われている。
旅人がしばしばパンクし、道端の草を詰めて旅を続けたことに由来するのではあるまいか。
阿坊坂 (あぼうざか)
昔は阿坊戸(あぼうと)と言ったらしい。
弘法大師がこの地を訪れる際に峠を夕暮れに越えようとしたが、この坂に差し掛かったところで前照灯が切れてしまい、月のない夜だったので、
峠越えを断念して手前の村に引き返したという伝説が残っている。
腹摺峠 (はらずりとうげ)
都から来て道に迷った低床の三列席車が車底を摺って動けなくなり修行僧に助けを求めたという故事から。阿坊坂の峠か?
底附峠 (そこづきとうげ)
この地の修行僧は第ニ水曜のポイント2倍セールの日に峠を越えて買い物に行くことが多かったが、ときおりまとめて買い込みすぎ、
過重量でしばしば底付きしたという。
市が立つ村とのこの地を結ぶ主要経路であることから阿坊坂・腹摺峠と同一の道筋の可能性もある。
鉢割越 (はちわりごえ)
日用品調達をいいつけられた弟子が、買い物の帰りに近道をして早く着いて褒められようと思い、ふだん使わない曲がりくねった峠道を選んだ。
しかしあまりに急いで走ったために転んでしまい、大師に頼まれた鉢植えのいくつかを落として割ってしまった。
弟子は叱られることを覚悟して大師に残りの鉢植えを渡し顛末を正直に話すと、大師はまず弟子の怪我を案じマキロンを与え、
ついで「功を立てんとせばなおのこと慎め、おのれの持てる力の八割で臨むべし」と諭したという。
この故事により弟子が転倒したこの峠道は「八割超え」とも呼ばれる。
いまでもその峠道には春になるとそこだけペチュニアとマリーゴールドが咲くカーブがあるという。
一丁落峠 (いっちょうおとしとうげ)
その昔弘法大師がここを越えようとしたとき、あまりの急坂のためにドライブスプロケットを一丁少ないものに取り替えたという。
瀬楼峠に向かう途中の峠ではないかと思われる。
瀬楼峠 (せろうとうげ)
弘法大師が弟子たちとともにこの地を去るときに越えたという。
ほとんど人通りがなく獣道同然の道で、大師は二輪二足、
弟子に前の取っ手を引っ張ってもらってどうにか乗り越えたという。
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写真と記事は無関係です。
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