いつ起こるとも知れぬ核戦争を恐れつつ、さらなる破壊兵器の開発が続く・・・
冷戦時代のアメリカは実にさまざまな航空機を開発しました。
冷戦時代を代表する偵察機が U-2 と SR-71 ならば、
ノース・アメリカン XB-70 バルキリーはたった2機だけの試作で終わったとはいえ、
冷戦時代の爆撃機を象徴するといえるでしょう。 超高空・超音速での領空侵入を可能にするための極めて長い機体と6基の強力なエンジン、 両端を最大65度まで下向きに折り曲げて自らが発生した衝撃波に”乗って”飛ぶ巨大なデルタ・ウイング、 核爆弾投下後の閃光から自分を守るための純白のペイント。 バルキリーの目的はまさに最終破壊にありました。 構想段階ではなんと核エンジンの採用までもが予定されていました。 しかしICBMの開発が進んで爆撃機による核攻撃の意義は徐々に薄れていき、 さらにソビエトの対空兵器や迎撃機の性能があがるにつれ、開発テスト中からバルキリーは次第に疑問視されるようになります。 そんな中、バルキリー最大の悲劇が起こりました。 1966年6月8日、ゼネラル・エレクトリック社の広報写真撮影のため、 同社製エンジンを採用している航空機がエドワーズ空軍基地上空を編隊飛行していたときのことです。 バルキリー2号機の後方を飛行していた F-104 スター・ファイターがバルキリーに近づきすぎ、 その巨大なデルタ・ウイングから発生する乱気流に巻き込まれてしまいました。 (*1) 一瞬の後、吸い込まれるようにスター・ファイターはバルキリーの後部に激突。 スター・ファイターは爆発し、バルキリーはその垂直安定板を2枚とも失ってしまいます。 おそらく同時にエレボンの機能も失ったバルキリーは数秒後に180度ロールし、ついで回復不可能なフラット・スピンに陥ってしまいます。 機体はそのままモハベ砂漠に墜落。 スター・ファイターのパイロットと、脱出に失敗したバルキリーの副パイロットが命を失う結果となってしまいました。
(*1)
翼端渦に巻き込まれた、パイロットが別の航空機に注意を奪われた、サボタージュ・・・など諸説あり、
なぜスター・ファイターがバルキリーに接触したかは最終的に判明していません。
ステルス性が全く考慮されていなかったバルキリーのレーダー・クロス・セクションは極めて大きく、 したがってバルキリーは今後二度と生まれない爆撃機です。 爆撃機開発としての意義を失ったバルキリーはしかしその後、 アメリカ製のSST計画のテストベッドとして使用され、数多くの重要な研究データをアメリカに与えました。 不幸だったといえるバルキリーの生涯の中でもっとも幸いであったのは、 それが本来の目的に一度も使用されなかったことだ、といえるでしょう。 まさに開発中のバルキリーが飛び、そして悲劇が起こったモハベ砂漠のエドワーズ空軍基地で買ったこの本は、 バルキリーの開発ストーリーを主に写真で時系列に紹介しています。すべての写真は白黒で、せめて何枚かはカラーが欲しいところです。 ページ数は少なく、技術的な解説はあまり詳しくなされていません。 この本は現行のもので、大きな本屋ならおそらく在庫があるでしょう。 |