Radar Electronic Fundamentals War Department Technical Manual TM11-466 War Department 30 DECEMBER 1943 |
Section 1 Introduction to radar
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Section 8 Cathode-ray tube
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史上初めての「電波エコー」のいくつかの観測のうちのひとつが、 1922年に合衆国で、海軍研究所のアルバート・H・タイラー博士により行われました。 タイラー博士は、送信機と受信機との間を通過した船舶が電波を送信機に向けて反射してきたのを観測したのです。 1922年から1930年にかけてのテストにより、 この現象には煙や霧、あるいは暗闇の中で船舶を検出することができるという軍事的な価値があることが証明されました。 この先の技術開発は慎重に軍事機密として保護されました。 これと同時期に、カーネギー研究所のブレイト博士とトゥブ博士は、 地球大気上層の電離した層でのパルス電波反射についてレポートを発表しました。 これが後に航空機を検出する原理として応用されることになりました。 他の国においても同様の実験がそれぞれ独立して、かつ厳重な機密管理の下で行われました。 1936年には合衆国陸軍は海岸線に利用するためのレーダー警報システムの開発を行いました。 1936年から1940年にかけてはパルス送信システムが開発されました。 1940年末にはレーダー機器の大量生産体制が整いつつありました。 1940年9月には、英国のレーダー技術はほとんど自軍に被害がないまま非常に多くの敵機を撃墜できるほどになりました。 1941年の初頭には、英国と米国の協力により国連は世界でもっとも優れたレーダーを保有することとなりました。 しかし一方でわれわれの敵もまたレーダー開発に多大な努力を払ってきています。この事実は、 ドイツの戦艦ビスマルクのレーダー測的砲火によって、 英国の巡洋艦フッドが2回目の一斉射撃を行えないうちに撃沈させられたことによって明らかになりました。 |