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Ohne Toge Pass

大根峠


とぼしい確証

    須田 茂さんの「群馬の峠」を読むと、甘楽町の峠のひとつに 大根峠 があります。

須田 茂 群馬の峠 (2005年) 5B-13 p038

大根峠 藤岡市上日野〜甘楽町秋畑

「甘楽町地名考」の「小峠」の項に、「日野村に越える峠はこの(小峠のこと)他に、前記の焙烙峠とこの地の西方の大根峠がある」とある。


とあります。 甘楽町地名考を参照してみると、

甘楽町之地名 甘楽町地名調査会 1999年 p046 秋畑地区 其ノ四(滝ノ沢、北平、内久保、来波)の地名

小峠 (コトウゲ)
    日野村に越える峠はこの他に、前記の焙恪峠とこの地の西方の大根峠がある。 かってこの峠は御荷鉾への往復や林産物の運搬道路として賑わった峠である。 足沢と雄川の合流点近くに高林寺(今は廃寺)の跡がある。 ここからも足沢沿いに小峠に向かう道があった。標高七七〇米。[交通地名]


甘楽町地名考 関口 進 2001年12月刊 p128 秋畑地区

小峠 (コトウゲ)
    日野村に越える峠はこの他に、前記の焙烙峠とこの地の西方の大根峠がある。 かつてこの峠は日野への往復や林産物の運搬道路として賑わった峠である。 足沢と雄川の合流点近くに高林寺(今は廃寺)の跡がある。 ここからも足沢沿いに小峠に向かう道があったと言うが、今はこの道を通る人はいなくなった。〔交通地名]


となっており、小峠は取り上げられているものの、この中で触れられている「大根峠」は地名としては取り上げられていません。 よって、その具体的な場所もわからないし、由緒や地名の由来等一切不明。 その読みかたもわかりません。 はたして「おおねとうげ」なのか、それともまさか「だいこんとうげ」はないと思いますけれども。 分かっているのは、それは甘楽町の峠であって、日野つまり現在の藤岡市との郡界の峠であり、小峠よりは西にあるということ。

    現時点で、大根峠について記した文献はこれだけ。 甘楽町史にも触れられていません。 いっぽう、甘楽町が発行した1万分の1地形図には大根峠が明確に示されています。 この峠の位置を示したものとしては現在私が知る限りこれが唯一のもの。 したがって全面的に信頼するしかないのですが、 しかし私はこの地図の峠の記載位置はすくなくとも 牛返峠 ならびに 二本岐峠 について誤っていることを確信しています。 二本岐峠や牛返峠に比べてもさらに伝承が残っていない大根峠の記載位置が正しいと信ずる理由が見つけられずにいます。 さあて、ここが本当に大根峠なんだろうか。


大根峠の位置を示しているのは甘楽町発行の1万分の1地図だけ

やはり秋畑からアプローチするべきでしょう

    2週間の海外出張は2週間では終わりません。週末移動なので3連続で週末が潰れ、 帰国すると溜まった仕事の山で、4つめの週末はひたすら休むだけ。 結局のところ、山歩き・峠越えは1ヵ月おあずけになってしまいます。 で、10月末の 暖色系ツアー 以降ひさしぶりにお出かけ。 すでに12月も末ですが、 今年の冬は暖かいです。 近くの山にはまだ雪はなく、西上州ヤブ山ハイクもまだ可能。 ので、 いのぶ〜 で大根峠に行くことにしました。

    今年の初めに大根峠の存在を示唆したらドクターはすぐに先発現地探査に出かけてくれて、そこは峠としては何の特徴もない郡界の鞍部だったとのこと。 秋畑側からの道はなかったとのことです。
    ドクターはあらかじめ地形図を分析し、もっとも安全かつ効率的に到達できるルートとして、 稜線の南側つまり藤岡会場側を走っている県道富岡万場線をベースパーキングにし、 大根峠と小峠を結ぶ稜線のちょうど中間点にある鞍部にいったん南側から上り、 そこから青喰山(あおげえやま)・大根峠そして源五郎山まで行きました。 ドクターはさらに、甘楽町地形図の誤りの可能性も考慮し、反対方面の901.5mピークまでも歩いた、とのこと。 このトレックでドクターは、最初に上がった中間点鞍部とそのさらに東の鞍部に林道が来ていることを発見しています。
    ドクターは稜線南側、つまり日野村(現 藤岡市日野)から上がったわけですが、 甘楽町の峠というからにはできれば甘楽側から上りたいなあ。 中間の鞍部に林道が来ているというから、そこに北側からアプローチしてみよう。 今回はここが最初の目標地点、目標鞍部。
    地図にはそのような道は掲載されていませんが、衛星写真を見ると不鮮明ながら作業道がところどころに確認できます。 その登り口はというと、これまた確証はありませんが、秋畑の県道の那須橋(那須大橋ではない)のターンがルートノードであるようです。 そこから行ってみよう。

    最初からヤブハイクを予定しているのでトレッキングシューズにトレッキングパンツ、 今年の秋に買った黄土色のトレッキングジャケット。 オーバーパンツはアウトドアスポーツ用。 オートバイ用品はヘルメットとグローブとニーシンガードだけで、 リヤデッキにはトレッキングポール。 いのぶ〜はこんないでだちも似合います。

    今回お初のアイテムはコンパクトなサーモブランケット。 予期せずに足をくじいたり腰爆弾が爆発して歩けなくなってしまったら、 ヤブ低山とはいえ、日が暮れた12月末の1000m級で一晩を明かすのは正真正銘のサバイバルになります。 こんな薄いシートでも、あるのとないのでは天地の差のはず。 ま、そんなことにならないように、つとめてのんびり歩くことにしましょう。

    いつものように藤田峠を越え、林道二ノ倉線で 那須峠 を越えて那須に降り、那須大橋から県道富岡万場線…おっと、いまでは富岡神流線っていうんでしたっけね…に出ます。 登りストレートエンドの左タイトターンは、いよいよここから小峠だぞ、しめてかかれよ、 と言ってくれているようです。 で、今回はいままで入ったことのなかった、那須橋ターンからの分岐に入っていきます。 ここが今回のゲートウェイ。 農業施設がちらほらある小集落を抜けると道は荒れた作業道になり、 ぐんぐん高度を上げていきます。 最近こんなんばっかり、いのぶ〜にはかわいそう。 トレッキング用車両を考えようかなあ。 路面は青白っぽいとがった小岩だらけになってきました。 このあたり、青崩(アオゲエ)という地名があります。 うなづけること。 この先稜線上にある青喰山は、おそらくは青崩山と書くのが正解なのでしょう。

    やがて作業道一面をおびただしい倒木が覆う箇所に出くわしました。 ありゃ、こりゃだめかな。 別ルートで稜線に向かう作業道もありますが、そちらは当初からゴムタイヤ装着車両は考慮していない、超急坂の作業道。 トレッキング専用車両は欲しいけど、しかしさすがに無限軌道車というわけにはいかんでしょう。 このルートはおそらく、目標鞍部よりもさらに東の鞍部に向かっているものと思われます。

    いのぶ〜を降りて、状況を見ます。 倒木は山手の沢から流れ出したもののようですが、何本かを移動して、通過できるラインを確保できました。 路面は激荒れですが、どうにかなるはず。 イメージトレーニングののち、気合を入れて突入。 アンダーカバーとメインスタンドが激しく接地してガンガンガッと大きな音を立てますが、かまわずフルパワーで、行けええっ!! よしっ、通れたっ!

    しかしその先、巨大な岩がゴロンとあるターンの直後は、尖った小さな青白い岩が道幅いっぱいに広がる急登。 ここでいのぶ〜は前進不能に。 ツルツルロードタイヤは岩を噛んでくれずにスピンするのみ、前輪が岩を乗り越えるために必要なトラクションを生み出せません。 ボディアンダーやメインスタンドやステップボード取り付け部も岩に引っかかり、前進を妨げます。 一度下がって別の走行ラインからアタックし、どうにか通過。 さらにこの先は似たような岩がゴロゴロの急登がつづき、しかもそのすぐ先、 すでに崩落しかかっている左手の崖側は道路中央部に縦に亀裂が入っていて、そのうちどっさり崩れますよといわんばかり。 この地点でこれだから、街乗りスクーターじゃあとても峠までたどり着けるわけがない。 やめておこう、ここまでだ。

    歩き出す前からジャケットの中も手袋の中も汗ばんでしまいました。 歩き終わってくたくたになって戻ってきたときには足場の悪い急坂でのUターンに難儀することがあるので、 歩行開始前にいのぶ〜をUターンさせ、ちょっと広いところに停めます。 パーキングブレーキだけでは転がりだしてしまいそうな下り坂ですが、 前輪が岩で押さえられているので大丈夫。

    麦茶で一息ついて、オーバーパンツを脱ぎ、インナーとジャケットを脱いで歩き始めます。 ペースパーキングの標高は770m。 目標鞍部の標高890mまで比高120m、大根峠の1025mまでは比高250mです。 目標鞍部まで直登しようとすると、水平直線距離で220mの間に120mも高度を上げるわけですから、平均斜度28.6度。 こりゃきついな。 うねうね高度を上げていく作業道に沿って行けば、しかしかなりの遠回りになります。 作業道は平成23年に設けられたことが標識からわかりました。 へえ、そんなに古くない。 しかし5年も経っていないとは思えないほど、作業道は崩壊しています。 ジムニーはおろかセローでも難儀するでしょう。 ので、ルートは作業道と直登の組み合わせで。 林の中は落ち葉で敷き詰められ、ところどころ足が埋まるほどのふかふか落ち葉。 ここしばらく雨は降っていないので乾いており、その点では楽しく登れます。 久しぶりの山登りでヒイヒイ言いながら、目標鞍部に到達しました。 作業道は目標鞍部を峠として越えており、また稜線には赤い頭の境界杭がありました。 郡界越えなんだし、やはりここは峠として認めてあげるべきだよな。 黒本峠 と呼ぶことにしよう。


PS250 couldn't climb further. In the photo it doesn't look so hard, though. The photo was taken after the vehile turned around (to prepare for the departure).


Today's base parking. Would be called as the Big Rock Point?.


Post show this "Kuromoto Trail" was constructed in year 2011 --- only 4 years ago, however the trail is now quite deteriorated.


Arrived at the first destination. Trailway reaches to this pass. I'd name this unnamed place as Kuromoto Toge pass.

大根峠へ

    黒本峠(仮称)から大根峠へは稜線を歩けばいいやと思ったのですが、 南側斜面に沿って進む道が付いていましたのでそれを通ることにしました。 北からの冷たい風は稜線にさえぎられて日が当たり穏やかだし、 北側斜面と違ってGPS衛星もより多く捕捉できてPDOPも良好。 でも稜線の南側ということは、ここは甘楽じゃなくて藤岡だよ? …まあ、気にしないで。

    この道は古来交通路ではなく林業管理のためのものなのでしょう。 甘楽側は、このあたりから西は国有林になっています。
    普段の交通量は人よりも鹿のほうが多いはず。 途中何か所も枝分かれしていますが、 青喰山のピークを右手に見ながら、徐々に高度を上げるルートを選びながら進んでいきます。 稜線にさえぎられて風はなく、とても静か。 進むにつれ、左手から沢の水音がはっきり聞こえだしました。 ここから150m南東、150m下方を流れる鮎川の水音でしょう。
    青喰山の南斜面にはヒラが広がっていました。 林はきれいに間伐されており、下草もなく、虫も飛んでおらず、一面あかるいブラウンのとても平和な冬の林です。 残念、今日はお弁当はもってきていない。 さて、峠が見えてきた。


Ohne Toge pass --- almost there.

    稜線に出ると冷たい風。 尋常ではない汗っかきなので、こんな冬でも歩いたあとはTシャツがびっしょり。 みるみる冷えていき、ジャケットを羽織りました。 冬でも、あるいは冬こそ、替えのTシャツは持って歩いたほうがいいな。 写真に撮ってしまうと立木できれいには見えませんが、 葉を落とした木々の合間から、北側に秋畑の集落が見えます。 石造物や標識などはいっさいありません。 し、古来の交通路だったに違いないと思えるような峠道は見当たりませんでした。 ともかく、大根峠、到達。


Ridge at Ohne Toge. Nothing found there --- only trees. No identifiable paths either. The map surveyed in 1907 did not show path here. Even if this saddle point was used as a pass, its path would be faint. And more than 100 yeas passed since then.

ほんとうにここが?

    帰りはのんびりと、暑くも寒くもない、あたたかな日差しを感じながら快適なトレッキング。 黒本峠(仮称)までもどりました。 今回はここからさらに東に230mの鞍部には行かず。

    黒本峠(仮称)からすぐに林道に降りずにちょっと先まで行ったところの鞍部は、 その先の道は不明瞭なものの、 いかにも古来の歩道峠の鞍部といった風情でした。 むう、大根峠は峰道の鞍部でこそあれ峠の風情はなかったのに。 ひょっとして、いま黒本峠と仮称しているこここそが、本来の大根峠ではなかったのだろうか?

    実はドクターも、彼が歩いたときにまったく同じ印象を持ったとのこと。 そもそも甘楽1万分の1図に掲載されている大根峠では、 杣人の山仕事には使われることはあっても、地域交通ルートとしてはどうにも意味が見当たらなさそうです。

    県道富岡万場線の工事着手が昭和37年。 昭和35年に行われた、工事に向けての現地調査では馬も6頭使われたとのこと。 開発完了は昭和39〜40年ころで、これでようやく日野と甘楽町の間に自動車が通るようになりました。 秋畑那須から登り小峠を越えて会場に至る富岡万場線は、地図を見ただけでも想像できるように崖にへばりついて高度を上げていく道で、 それはとにかく難工事であったことは容易に理解できます。 現在でも小型乗用車でもすれ違いが困難な場所も多く、当然しょっちゅう補修工事を必要とする、まさに険道です。

    その県道が開通するまでの小峠の道は2本あり、 1つは那須よりも雄川の下流にある川振・来波から小峠橋を渡ってから南に向かって登ってゆく道、 もう1つは那須から南に登っていく道。 この2本は、峠の手前で合流します。 明治40年の五万図を見ると、小峠橋からの道のほうが太く書かれていて、こちらが主流であったようです。 これらの道は今の県道ほどに屈曲しておらず直登に近い、ということは、その登りはとにかくきつかったはずです。

    さてその小峠はなぜ小峠と呼ばれるかというと、それは大峠とセットの峠だから。 ここで大峠とは、御荷鉾を越える塩沢峠の別の呼び名です。 小峠・大峠のルートは、集落間交通のためというよりも、近世の広域交通経路だったのです。 信州から上州下仁田に入り、富岡から秋畑に出て、小峠・大峠を越えて山中領万場に入り、さらに峠を越えて秩父に出て… ああ、気の遠くなるようなルートです。

    さて、那須-会場-塩沢峠というルートを考えるとき、大根峠は小峠の代替ルートとしての価値があったのでしょうか? そうは思えません。 あまりにも西に寄りすぎて、どうみてもメリットがないのです。 もし、いま黒本峠と呼んでいる鞍部が実は大根峠であったのだとしたら、 代替ルートとして成立しそうに思えます。 しかし那須-小峠-会場ルートのほうが依然として有利だったでしょう。 那須から黒本峠(仮称)を通って会場に出る道は、明治40年五万図には掲載されていません。 やはり交通路としての利用価値は低かったためでしょう。

    もし大根峠は甘楽町1万図が示しているとおりの場所だったとすると、 それではその利用価値はいったい? なにしろ会場から西には集落は全くないのですから、 集落間交通のためではなかったはず。 となると、山稼ぎの仕事道として使われていたというのが唯一の合理的な説明。 那須の人たちは、貫前神社の葺き替えのときにここ大根峠を越えて千駄萱に行き、萱を取ってきたのでしょうか?

    いつかこの消えた峠のことを記した文書に出会えることを願って、ひとまず。


The Kuromoto Toge pass (I named as such) has a saddle point with clear walk way, which looks very similar to other historic passes in this region.


Returned to the base parking.



There are already 2 mistakes found in the map published by Kanra Town, having incorrect locations of the passes. Considering the terrain and possible pathes as regional traffic routes, the pass I named Kuromoto Toge might be the real Ohne Toge. Will it be clarified someday?


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Dec. 29, 2015 Page Created. [Noobow9100D @ L1]
Dec. 31, 2015 Published. [Noobow9100D @ L1]