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Servicing SUZUKI Motorcycle : SP370


    迷車・珍車あるいは失敗作と呼ばれるモーターサイクルはいろいろありますが、 スズキSP370は間違いなくそんな中に入るでしょう。 この本はSP370のサービス・マニュアル。 アメリカでは自動車やオートバイを自分で直す人が多く、この手のマニュアルがたいていのモデルに出版されます。 この本を中古で買った理由は・・・今でも夢に出てくる我がSP370へのノスタルジア。

なんでそんなの買うの?

    高校時代にスズキ・ハスラー50 (TS-50 type8)と苦楽を共にし、 大学に入って中型車を買おうとしたとき、その車種選びには大いに悩みました。 ハスラー50のタフさに感銘したライダーとしてぜひスズキ車を選びたかったのですが、 ハスラー250はどうにも古臭く、発表されたばかりのDR250Sはいかにも鈍重なスタイルだし。 さりとて出たばかりのホンダXL250Rは122kgという車重。 そんな中のある日中古車屋を見ていたら、そこにSP370が。 スリムな車体、400ccクラスのエンジンながら軽量化設計による車重は123kgとXL250Rとほぼ同じ、低速トルク重視のエンジン。 車検のハンディはあるものの、十分魅力的に思えました。 すでに製造中止になっていたし、乗るなら今かもしれない。 それに、このマシンには実に強烈な印象があったのです。 学校に向かう途中信号待ちしていたら隣にSP370が。 信号が青になると同時に、ほとんどエンジン回転を上げていないというのに、SP370は飛び出すように発進。 瞬く間にはるか先に行ってしまいました。なんという発進加速!
    友人の忠告も聞かずに、私はSP370のオーナーになる決心をしました。

SP370

    SP370は、スズキ初の4サイクル・オフロード車です。 1976年、排ガス規制を含む社会背景のなか、 2サイクルスポーツ車は次々にマイルドな4サイクル車に置きかえられていきました。 ヤマハDTと常にライバルにあり、 そして絶えずワイルドな性格を持っていたハスラー250の4サイクルバージョンを企画するにあたり、 スズキはまず4サイクル化による重量増を嫌いました。 そして、まず排気量を決定するのではなくて、必要なパワーと車重の最適値を見出し、そこから最適なエンジン仕様を決定する。 こうして生まれたのが、370ccという例を見ない排気量の、徹底した軽量設計によるマシンだったのです。 SPは、Suzuki Performance の意味であると雑誌で読んだことがあります。
    バランサなし、デコンプなし、極めてオーソドックスなウェットサンプ2バルブOHC単気筒。 スリムな車体。 アルミリム、アルミリアスプロケット、アルミフォークブラケット、 スチール製リアフェンダーに直付けされたテールランプ (プラスティックフェンダーの下に強度確保用のスチール製ステーを隠すくらいなら、 いっそのことスチール製ステーだけにすればよい・・・!)、 レスポンス優先のシングルVMキャブ、低中速最重視のセッティング、最低限の電装。 一見端正に見えるスタイリングですが、SP370はかなりスパルタンな設計思想である、といえます。
    SP370の外装スタイリングは、それまでのハスラー系とはまったく異なったものです。 し、これ以降のモデルにはこのデザイン・スキームは受け継がれていません。 実に不思議です。 で、推測しているのですが、SP370のデザインにはハンス・ムートが絡んでいるのではないのか、と。 フロントフェンダー、前下がりの滑らかなラインの入ったタンク、シート下の同色飾りからテールフェンダーをつなぐライン。 赤ボディにシルバーのSUZUKIのロゴ、あるいはシルバーのボディに赤のSUZUKIのロゴ。 どうにもその後のKATANAシリーズに通じるところが感じられてならないのです。 この辺の事情をご存知の方、ぜひご一報ください・・・。

    SP370はしかし、車検付きオフロード車が嫌われたせいか、わずか700台程度しか生産されませんでした。 これらのオーナーの中には、初めて空を飛ぶことができた仮面ライダーであるスカイライダーも含まれています。

SP370との日々

    1982年、SP370との日々は、事実この発進加速を楽しむ日々でした。 軽量な車体と4000rpmで最大トルクを発生するエンジンの組み合わせは軽々とフロント・ホイールを持ち上げ、 後輪で路面を蹴る快感を味あわせてくれました。 信号発進から40km/h程度までの加速では大抵の新型ロードスポーツを置き去りにし、 逆にラフなアクセルワークをしたために後輪が瞬間的に流れて転倒、ということもありました。

    しかしSP370はまた、実にトラブルの多いマシンでした。 最も困ったのが、冷却が不十分なためか市街地渋滞走行でアイドルが不安定になること。 郊外ではいつも安定しているのに、甲州街道から赤坂への通学帰宅ルートではいつも不機嫌でした。 四ッ谷見附交差点の右折レーン発進でエンストしてしまい、ホーンの嵐を浴びたこともありました。

    夜になると、電装系があまりに貧弱なのが悲しくなります。 ヘッドランプはわずか6V・35Wのタングステン。 新車のスクーターのほうがよっぽどましです。 メータ照明がこれまた暗く、かろうじて針の位置が見えるだけ。 文字盤はまったく読めません。 なのに、速度警告灯の明るさときたら! 高速道路を走っていて速度が80km/hを超えると、 それまで暗さに慣れていた目に赤い光が強烈に飛び込み、目が眩んで転倒しそうになったこともありました。 逆に言えば、これほど効果のある警告灯も珍しいといえます。

    SP370のもう一つの大きな欠点は、バランサを持たないシングル・エンジンの強烈な振動。 バックミラーは40km/h以上では振動で何も見えなくなり、 ナンバープレートは数ヶ月のうちに真っ二つに割れてしまいます。 さらにこの振動のためどのボルトも次第に緩み、それこそ落ちそうなものはすべて落ちました。 ナンバープレートや重たいテールランプはいうに及ばず、 ウインカー、マフラー、サイドカバーと車載工具、キックペダル、シフトペダル、ブレーキレバーの取り付けナット・・・。 またビッグシングルのパルス的パワーは、ドライブチェーンとアルミ製スプロケットを激しく消耗させます。

ライダーよ、逞しくあれ

    初めての北海道ツーリングは、それこそトラブルの連続でした。 デニム製サイド・バッグを友人から借り、着替え類を入れて出発したのですが、 最初のキャンプで下着の替えをサイド・バッグから取り出そうとして驚きました。 SP370のスパーク・アレスタ内蔵マフラーがいかに高温になるのか・・・ サイド・バッグのマフラーにあたっていた部分はもとより、 そこにあったパンツ5枚が完全に焦げていたのです!

    デコンプのないキック始動は、セル車の経験しかないライダーを拒みます。 しかし始動性自体は悪くなく、エンジンをかけられない友人の前で一発で始動してみせれば、 自然と<SP使い>の名で呼ばれることになります。 しかしそのキックが使えないとなると・・・?     初日の夜の食料を買い出しに行った帰りの始動時に、最初のキックが空回り。いやな予感がしました。 そしてそれは現実になります。 空回りする頻度が増え、数日後の北海道では完全にキックできなくなってしまったのです。 であれば、当然押し掛けしかありません。 しかし軽量な車体とビッグ・シングル、ローギアでの押しがけでは後輪がロックするのみ。 2速で試せば、回転があがらずすぐにはかかりません。
    ある時うっかり砂利道の、それもアップダウンの底の駐車場でエンジンを止めてしまいました。 押し掛けしても後輪はロックするばかり。 結局荷物をすべて降ろし、坂道を押して登り、そして坂を下りながら3速でクラッチをつないで始動できました。 苦労している私を見て何人かのツーリングライダーが心配してくれましたが、 最後にエンジンがかかったときは彼らが拍手してくれました。 しかしふたたびエンストするのを恐れてすぐに坂の上まで戻り、 こんどは歩いて荷物を坂の上まで運びました。 用意できたときには疲れ果てて、道端でしばらく倒れていました。
    エンスト予防にアイドルスクリューを少し上げておいたほうがよい、と走り出して気がつきました。こうしてライダーは逞しくなっていくものなのか、とも。

    食費も最低限に削った貧乏野宿ツアー、連日の雨、毎晩のチェーン調整、強烈な振動、毎回の押しがけ・・・ 宗谷岬についたとき、今日くらい宿に泊まって休んでもバチは当たるまいと思い、民宿に飛び込みました。 夕食は海の幸盛りだくさんのごちそう。 なのに、部屋から食堂へ降りる途中で突然気分が悪くなりました。 めまいがして、音が遠くから聞えるようです。 味噌汁を一口すすっただけでどうにもならなくなり、部屋へ戻ってうなされながら寝ました。 そうか、これが疲れてダウン、ってやつなのか・・・。 翌朝目を覚ますと、気分すっきり、食欲全開。 昨日の分も取り返して海の幸を食べるぞ! ですが朝食はありきたりの焼き魚と卵。 それでもご飯を3杯おかわりし、食べまくりました。 民宿を出てSP370を押し掛けすれば、パワー復活、実にあっさり始動でき、 そしてSP370はサロベツ原野のダートを疾走しました。

夢がかなえば・・・

    こうしてSP370は強烈な思い出を残してくれましたが、 結局当時の私には手におえずに、わずか一年足らずで手放すことになってしまいました。 が、ビッグシングル・オフロード車の魅力は忘れられず、ヤマハXT400を手にすることになります。 粗野なSP370に比べはるかによく造られたXT400とは、その後4年間4万kmを共にします。 にも関わらず、夢に出てくるオートバイはSP370であることが多いのです。 もし夢がかなうならSP370の新車を手に入れ、 そして今度は毎日きちんと整備してとことん乗り込んでみたい・・・!

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Jan. 17, 1999 Created.
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